挨拶は乱交の始まり
俺って挨拶しないんですよ。
したいとも思わない。
でもこうやって言うと。
「挨拶は、常識だろうが!!はい、異常者!異端児!アスペ、ガイジゲエジgauge!!ばーかばーか!!」
って畜生的な脊髄反射で基地外認定してくる輩がいるから、個々の挨拶する場面を集めて帰納的に対処してる。
初めのほうこそ、「ああ俺も社会化されているなあ」っていう恍惚と屈辱が2つ我にあったんだけど。
最近めんどくさくなってきた。
なので、偉い人がすでに導き出したであろう「挨拶する意味」を探してみた。
意味が分かれば、そこから演繹的に個別の場面が導き出せるだろうってな。
1.会話の始まりと終わりの合図になる
2.信頼関係を結ぶ
3.相手の体調を知るバロメーターになる
4.知らない人にすると防犯になる
5.相手の存在を認める
「あいさつ 機能」でググったらあんスタばっか出てきてビビったけど、以上が賢い人が考えた挨拶の意味だそうです。
挨拶は「相手への配慮」や「自分の心」を伝える言葉であり、使うと人間関係が円滑になる。
とのこと。
うん……。
挨拶する意味はよくわかりました……。
ただねえ……。
俺そんなことしたくねえし。
そうなのである。
仮に上司を例にとってみた場合、別に会話を始めたくもないし、仕事上の関係だけでいいし、体調なんてどうでもいいし、防犯なんて小学生の登下校じゃあるまいし、存在なんて認めたくない。
なにより、それって挨拶じゃないといけない理由になりませんよね。
会話を始めたいなら「チョットすいません」でいいだろ!
信頼関係を結びたいなら共同作業の積み重ね!
盲人でも聾唖でもないんだから、体調なんて見りゃわかるし、よっぽど様子がおかしかったら挨拶なんかせずに聞け!
セコムと契約しろ!
自分が存在することに他人の認可など不要!
どうやらアプローチを間違えたらしい。
『西太平洋の遠洋航海者』よろしく、交換されるクラ自体に意味はないのだ。
クラそれ自体はその辺で拾える貝殻で作った腕輪だ。
重要なのは「辛い船旅を経てまで交易をしにきた」という過程。クラ交換を通じて島と島の間の関係は維持される。
これから類推すると、相手への配慮云々といった挨拶のもつ意味はすべてまやかし。
重要なのは「私と相手の間で言葉が交わされた」という過程そのものであり、これにより「明日もこいつと人間関係が続くなあ」という期待は蓋然性の高い保証へと変わる。
こう考えると、仲が良い間柄では「うんこぉ⤴」「うんこぉ⤵」で挨拶が成立することも説明ができる。
いや、でもさ……。
上司との関係が明日になったら続かないかもしれないなんてことある?
隣人や親兄弟との関係が明日突然消えるなんてことある?
ようやくわかった。
挨拶をする上で大切なのはエポケー。
現象学での意味は小難しいが、ここでは単に判断停止の意味で使う。
例えば、新しいマンションに引っ越してきたとして。
防犯はセコムの仕事だし、独り暮らししてんだからてめえの体調くらいてめえで管理すべきだし、会話なんかしなくていいし、そもそもこちとら隣人なんか存在してほしくない。
もっと言えば、日本語が伝わるかどうかも考えなければならない。ベトナム人ならカム・オーン。インド人ならナマステ。ブラジル人ならオラ。インドネシア人ならセラマッ・パギ。韓国人ならアンニョンハセヨ。中国人なら你好。
てめえら偉そうに社会人振りかざすんだから現代日本社会にいる外国人の挨拶くらい覚えてんだろうな?
また、自分が会社員だとして、同じビルにいて同じ制服を着ている人間の何の存在を認めてやる必要があるのか?
☝このような疑問を思ってはいけない。重要なのはエポケー。
相手が聴覚障がい者か日本語を話せるか、実は制服を奪ったライバル企業のスパイか、なんていう判断はすべて停止し、ひたすら多くの人に画一された言葉を伝える。
それが挨拶。
つまり、性的関係の接続と切断を短期間に繰り返す乱交と同じ。
現代はフォロワーとかチャンネル登録者数が多けりゃ正義みたいなとこあるし、人間関係は多けりゃ多いほどいい。
その質や意味は問われず、ただ関係の多さのみが評価される。
だからそのきっかけとなる挨拶も多くした方がいい。
つまり挨拶は乱交の始まり。
そんなわけないだろ。
じゃあの。