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江島神社 参拝③

ほっこりnoter はる之助です😊🌈🍀

江島神社参拝の記録もいよいよラストです🌈🍀


このタイミングで昨年の参拝の記事を書くことになったのは、必然なのかもしれません。

何故なら、明日、
4月4日は龍の日だからです。

龍ナンバーは、44と8と言われています。
その4が並ぶ日は、龍の日です。
みなさん、普段これはやれないなぁ、無理だなぁと思ってしまっていることを、是非、できますようにと龍神様に祈ってみてください。
龍神祝詞を唱えている方は、願いを叶える祝詞なので、是非唱えてみてください🐉

広場のとこで、たこせんを買い、ベンチで休憩。そこからまたてくてく歩きます。

途中、寺院もあり、お線香をあげました。
中国の刺繍を見せて頂きました。

あれ?このスタイルどこかで。。。


山頂部から「奥津宮」までの道中には「山二つ」
江の島を二分する境目であることからその名が付き、海岸浸食によって岩肌が崩落したことで生まれたとのことです。

なかなかのアップダウンです。


島の頂きにある、奥津宮に到着🌈🍀

手水舎は亀
おや?
にひひ



そして、参拝します。

浦島太郎も神様説あるのを思い出しました🌈🍀


そして、龍宮です。

裏側にも社があります。必ず裏側にも行きましょう

皆さん、龍さんのことを好きなのですねー🌈🍀🐉
僕も好きですが、さすがに並んでいました。

ちなみに、龍さんの裏側にもいって拝んでみましょう🌈🍀
龍神様に1番近い場所でお参りできます。

御神木が昇竜のようです🌈🍀

触れておいでと、貫禄のある女性に、若目の男性が促されていました😆

そして、ぐるっと下り、岩屋へ向かいます🌈🍀😆

帰りもここを通るのですが、なかなかの階段です



茅ヶ崎の烏帽子岩?サザンの曲で有名

岩屋の中へ。

『江島縁起』は平安時代に創られたとされています。

昔、鎌倉の深沢には周囲40里もある湖があり、そこには五頭龍が住んでいました。その龍の行った悪行は、山を崩す、洪水を起こす、疫病をはやらす、そして生贄として子供まで食べていたのです。

欽明13年4月12日(552年)、黒雲が天を覆い、大地震が起きて高波が村を襲いました。大地は10日間揺れ、揺れが収まると今度は海底が大爆発を起こし、岩を吹き飛ばすとそこには小さな島ができました。(これが江の島)

すると雲から美しい天女が現れました。
五頭龍はこの様子を見守っていましたが天女にひとめ惚れをして、結婚を申し込みます。
しかし天女は悪行を理由に拒否します。

諦めきれない五頭龍は行いを改めることを約束し、天女も結婚を受け入れました。
その後五頭龍は日照りに雨を降らせ、台風を防ぎ、津波を押し返すなど、約束通り村を守ります。
しかしその度に弱っていってしまい、最期を悟った五頭龍は山となり村を守るようになりました。(片瀬山)

天女は江の島の弁財天として、五頭龍は江の島の向かいにある「龍口明神社」に祀られています。

龍口明神社には、五頭龍音頭というものもあり、江島縁起が歌われています🐉🍀🌈

五頭龍さん。
実は、江の島の弁財天さんと、僕がよく参拝する龍口明神社さんは、夫婦神社なのです。

こちらの鳥居、珍しい雰囲気ですね🌈🍀

東浜
斎灯サトルさんという天井画家の方の絵でした

江島神社をあとにして、鎌倉市の龍口明神社へ参拝しました🍀🌈

本当は、龍口明神社参拝のあと、江島神社参拝をお勧めします🍀🌈
理由は、旦那のいる龍口明神社で、挨拶をして、その後江島神社の弁財天様に参拝すると、うちの旦那に会ってきてくれたのー?ありがとう🍀🌈と大歓迎をしてくださいますよ🍀🌈

五頭龍音頭というものが、龍口明神社にはあり、その中でも、江島縁起が歌われています🐉


北条氏の家紋がミツウロコになったのは、以下の様に言い伝えられています🌈🍀

北条時政は、幕府草創の始めに江の島に参籠して子孫繁栄を祈りました。

満願の夜に美女(弁財天)が忽然と時政の前に現れ「子孫は永く日本の主となって繁栄するであろう」と告げると、大蛇(龍)となって海中へと姿を消したそうです。

所願成就したと喜んだ時政は、大蛇が落としていった3つの鱗を北条の家紋としたというのが伝説です。

龍口明神社の神紋もミツウロコなのも一連の話で納得です🌈🍀

長い、参拝の記録にお付き合い頂きありがとうございます😊

大切な龍の日にこの江島神社の龍宮の記事、岩屋の記事、そして、龍口明神社の記事を書けたことに感謝しています🍀🌈

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