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海外永住に憧れた私が、いつか日本に帰るかもと思う理由

日本からアイルランドに移住して、滞在期間としては2年が経った。1年目はワーホリで働き、今は勤め先が申請してくれた2年間の就労ビザで仕事をしている。このまま今の会社で働き続ければ、3年間の就労ビザも申請してもらえそうだ。2年間、3年間、と5年間就労ビザで働いたその先には、永住権、つまりアイルランド国籍の取得申請が見えてくる。

15年間、私はアイルランドの永住権を夢見ていた。周りに「私はアイルランドで冒険して永住権を得る!」と宣誓していた日々が懐かしい。気がつけば、この永住という夢のまた夢だけど目標は大きくと思って言っていた言葉が、現実味を帯びてきていた。

昨年12月に日本に帰国し、友人たちと飲みに行った。ふと質問され、永住権申請まであと数年かもしれないと話した。

高校の時からずっと夢を応援してくれている友人たち。口を開けばアイルランドの話ばかりしていた私のことをよく知る彼らは、嬉しそうにこう言ってくれた。
「じゃあ4年後にはアイルランド人か、かっけーじゃん、みはら!」

あれ?

そう言われた瞬間、私は何だか手放しで喜べないことに気がつく。「へへっ!ありがとう!やっとだよ」と誇らしげに言うんじゃないのか、私。何かがしっくりこなくて言葉に詰まる。後ろから自分で自分に「待って」と控えめに引っぱられたような感覚がした。

そして私は声を絞り出して、「けどアイルランド国籍を申請するかはわからないんだ。だって日本が大好きだからさ」と答えた。それがスッと口から出てきた、すなおな言葉だった。我ながら驚いたが、これがその時の一番優勢な気持ちだったんだろう。

この時、帰国して1ヶ月。あまりにも日本で、地元で、家族やこの友人たちといる時間が、幸せすぎた。心にもやのかからない、ただただ笑える時間。家族や友人といれば何気なく過ごせるそんな時間は、実はアイルランドでは、滅多にない。

差別や言語の壁もつらい時があるが、アイルランドはいい人の方が多い。それよりもこの国では新参者、というのがネックかもしれない。生まれてもう30年以上経つのに、この国で築き上げたものはほぼないのだ。

私は心地よい人間関係とは愛着の積み重ねによるものが大きいと思っている。もちろん相性の良さや互いへの優しさが大前提として、長年いればいるほど、相手に愛着が湧き、特別な存在になっていく。お互いに相手が何をしていても面白いし興味深くなっていく。何をしたかではなく誰がしたかで楽しんで笑い合えるようになる。そんな関係に、私はこの上ない幸せを感じる。そんな関係を、今から異国で作るとしたら。

今の会社の同僚たちとは仲が良く旅行にも行くが、きっと私が転職したら何となく自然消滅する温度感の関係だ。植物学会のメンバーとも調査会で再会するのみか「プライベートでも会おうね!」と話して話したきりの人が多い。平日はいつも働いてそれで終わりになってしまう。大人から親友を見つけるのは難しいとよく言うが、その通りだ。ほとんどの出会いが一期一会。心の体力も落ちてきたような気がする。気の合う友人を見つけ、長年の友情を築き上げることが、果たしてできるのだろうか。それは何年かかるんだろうか。待ち受ける途方もなさに、少し、足がすくむ時がある。

アイルランドに住んでいるのは元々、ゼルダの伝説(ゲーム)みたいな場所で冒険したい!という夢と、冷涼な地域の植物が好きなこと、それから、自分を試したいという気持ちからだった。

最近になって、この夢や気持ちの形を出来るだけ大切にしつつ、故郷のつながりももう少し近くに感じられるバランスのとれた道はないか、と考える時がある。例えば、アイルランドに似た植物があり、日本アルプスという雄大な山々を持つ長野か富山に住むのはどうだろう。そうすれば山で冒険を続けて、休日には車で東京に帰って家族や友人と遊ぶことが出来る。コントラバスを買って、地元のOBバンドにもまた参加しちゃおうか。ゼロベースで始めているアイルランドよりも、すぐに入れる居場所がたくさん想像出来た。私が今までの人生で積み上げたものを、ここに来るまでにたくさん置いてきたんだなと再認識する。

私の夢を一番側で応援してくれていた母にこの心境を伝えると、やはりその変化に驚いていた。「まさかアイルランドの永住権をいらないかもと言う心境になるとはねえ」と。しかし続けて「"ふるさと"の3番目の歌詞を知っている?きっと今響くはずだよ」と言って歌ってくれた。

歌詞は、こうだ。

1.
うさぎ追いし かの山 小鮒つりし かの川夢は今も めぐりて 忘れがたき 故郷
2.
いかにいます 父母 恙なしや 友がき雨に風に つけても 思いいずる 故郷
3.
こころざしを 果たして いつの日にか 帰らん山は青き 故郷 水は清き 故郷

1番しか知らなかった私は、3番を聴いて、そういう歌だったの、と驚いた。親しい人と離れて故郷を出ていったことは、正しかったのか、間違っていたのか。故郷に帰ってもいいのか、新天地に留まるべきか。逡巡してもがく私に、その歌詞は寄り添うようだった。私だけじゃない。何かを志し故郷を旅立った人たちは皆、同じような葛藤を持って心の旅をしていた、あるいは今もしているんじゃないだろうか、そう思わせてくれた。

アイルランドから日本へ帰る選択肢。それはどこか敗退のような気がしていた。挑戦の地で心を強く持てず、輪に馴染めないから、永住を諦める。他人からではなく、自分自身から、お前は努力せずに逃げたんだと責められさえしそうだった。

何せ、ずっとアイルランドに行くんだという気持ちの強さだけが、私の取り柄だったから。他に得意なことも続けられることも何もないから。だから、日本に戻ることは、私らしさの全てを失うようなものだと思っていた。

けれど、この先、アイルランドで何か大きな成果をあげる前に帰国しても、実は良いのかもしれない。アイルランドでの冒険への思いだけをアイデンティティにしなくても、良いのかもしれない。そんな風に思える日が、増えたように思う。

アイルランドに住むのが嫌になったというわけではなく、地元のあの安心感が、居場所が、あまりにも得がたく代えがたいのだ。何を自分の人生で一番大切にするのか、後悔しないように考えたい。

アイルランド生活は今ようやっと土台作りが終わってこれからという段階だ。仕事で出来るようになったことや、顔見知りがいて輪に入れるコミュニティなんかがぽつぽつと増えてきたところだから、まだしばらくは帰らずにここでやっていきたいと思う。それに、もしアイルランドで好きな人が出来たり、英語での感情表現に慣れたりすれば、また居心地も変わって永住を考えるかもしれない。ただこれからは、やれるだけやって、結果はどうであれ日本に帰る、という選択肢を心の隅に置いておくことを、自分自身に許してやれる気がするのだ。

今まで行き先も帰り先もはっきり書くことを避けながら歩いていた心の地図に、ひとつ、印をつけてみる。迷いの余韻を持たせながら、今までとは少し違う気持ちと、幾分か軽くなった足取りで、また、帰る日まで、一歩一歩。

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