【詩を食べる】雪(三好達治)/雪の花ミルク蒸しパン
詩のソムリエによる、詩を「味わう」ためのレシピエッセイです。寒い日がつづきますね。今日紹介するのは、三好達治の詩「雪」。シンプルさとあたたかさが印象的な詩に、雪の花のような蒸しパンをあわせました。
しずかで完全な、世界と詩
あ、雪。
窓のむこうで舞う雪を見ると、しんと静かな気持ちになる。
まるで時間がとまって、スノウ・ドームのなかにいるような。
そんなとき思い出すのが、三好達治の「雪」だ。
詩には、激しい詩(ラングストン・ヒューズやロートレアモン伯など)と、静かな詩(ルイーズ・グリュック、谷川俊太郎など)がある気がしている。この詩はだんぜん、後者。
対句を1セット重ねたこの短い詩の、なんという静けさ、そしてなんという完成度の高さ!それでいて、包み込むような安らかなあたたかさが含まれている。この詩は、ほんとうに美しい。いや、世界の美しさにすっとつながれる詩だ。
俳句・短歌といった日本伝統の短詩のようでありながら、あたらしい叙情を描き出している。
心で受け取りたい詩
この詩は短いゆえに、「太郎と次郎は同じ屋根の下にいるのか否か」「眠らせているのは誰か」といった議論や、音韻に着目した議論もある。
そういった議論は興味深いし、大学院で文学批評や言語科学を学んでいたわたしはこういう議論をケンケンガクガク戦わせていたわけであるが―今はただ、この類まれなる美しい詩を、ただただ雪がふりつもるように受け止
めたいような気がしている。
この詩について、井伏鱒二が三好達治本人に尋ねた時のエピソードがある。
「それでもいいよ」(=好きなように解釈していいよ)という三好達治のことばを知ると、「太郎も、次郎も、雪の夜も守られて、すやすや眠っている」その尊い時間と命が感じられ、あたたかい風景が心に広がることがこの詩のよさではなかろうか。
無音のなつかしい調べを、胸のなかで、ただ響かせて。
なつかしいあたたかさ。ミルク蒸しパン
「ミルキーはママの味」…ではないが、ミルク味のものはなにか懐かしいあたたかさを感じさせる。この詩を味わうレシピをいろいろと試してはみたけれど、最終的に、蒸しパンの素朴な甘さを思い浮かべた。せいろでしゅうしゅう蒸されたあたたかな白い蒸しパンは、花のようにひらいて、やわらかい雪のよう。
蒸しパンは、そのシンプルさゆえに至高なのだと思う。これ以上なにもつけ加えることはない…簡素で、完成された味わい。雪のふりつむ世界もまた、そのような性質をもった世界なのかもしれない。
作者についてのあとがき
三好達治(みよし・たつじ)1900−1964
大阪府生まれ 詩人・翻訳家・批評家
困難にあいながら、文学を志す
子どもの頃から病弱であった三好達治。しかし、学校に行けないぶん図書館に通って夏目漱石などに没頭し、中学では俳句に没頭。父の事業が破綻し、学業を続けるのに困難がありつつも進学した三高(現・京都大学)で、同級の丸山薫(詩人)の影響で詩作をはじめる。
萩原朔太郎の妹に一目惚れ。しかしまた人生色々
その後、東京大学文学部仏文科に進学。萩原朔太郎の妹アイ(美人である)に一目惚れし、なんとかかんとか婚約にこぎつけるも、朔太郎の口利きで就職した会社が倒産し破談。悲しみの中、ボードレール翻訳にとりくむ。処女詩集『測量船』は好評。
かつての婚約者アイが再々婚した佐藤惣之助(作詞家)が1942年に死去すると、達治はふたりの子をなした妻・智恵子と離婚し、アイと結婚(!)。
▼ふたりの新生活について、萩原朔太郎の娘・萩原葉子が書いています
作風と人物は
「雪」で見たような叙情的な作風からは想像できないが、喧嘩に強く、三島由紀夫からは「文壇最強」と称せられたらしい(どんだけ強かったんだろう)。詩の雰囲気からやさしいイメージがあったので、おどろき。
戦争中は戦争を鼓舞する詩も書いていたが、戦後は谷川俊太郎を見出し、彼の処女詩集『二十億光年の孤独』の冒頭に詩を寄せている。
「ああこの若者は/冬のさなかに永らく待たれたものとして/突忽とはるかな国からやつてきた」(「はるかな国から―序にかへて」)
戦中・戦後に自らのことばを失っていった世代の声を代表している感じを受けて、印象的な詩だ。