REPORT|いろんな「わたし」の表現がとびだす!詩のワークショップの一日
こんにちは、詩のソムリエです。どんどん春めいていく3月半ば、九州障害者アートサポートセンター(KDA)主催で詩のワークショップを行いました。テーマは詩であそぼう!たくさんの「わたし」。
「わたし」をさまざまに例えて、とらえ直す実験です。集まってくれたのは、障害があったりなかったりする中学生〜大人20名ほど。
「詩を書き上げる」こと(表現の完成)をめざさないこの時間では、身体や絵を使った自由な表現がみるみる生まれ、息をのみました。「ふわっと、白いシーツをつかむような」という感想をくださったのは参加者さん。春のひざしのなかではためくシーツのように、新鮮で、のびやかな一日でした。ワークショップの様子をレポートします。
鳥の羽根のような動きが、表現を引き出して
ワークショップの、はじまりはじまり。最初のうちは、「詩」というジャンルに馴染みのない人も多く、「すこし緊張しています」という声がありました。そこで、わたしがみなさんに「緊張をほぐせるなにかありませんか?」と無茶振りをしたところ、車椅子に乗ったHさんがゆっくりと輪の中央に出てきて、ダンスをはじめました。その動きは、羽ばたこうとする鳥のよう…。動きを真似するうち、体がゆるみ、緊張がほぐれていきました。
そのあと、「詩の準備運動」として「好きなひらがな」を好きな方法で表現してもらったところ、Hさんのダンスに触発されたのか、もともと身体表現が得意な人が多かったのか、ひらがなを体で表現してくれる人が続出。「ひ」を表現するために、体操座りになって前後に揺れてみたり…「る」のぐるぐるした感じをスパイラルの動きで表現したり…。
その表現を見て、ほかの参加者さんはどのひらがなを表現しているのか当てる、など、鑑賞の楽しさも加わりました。
ある人がその場で生み出した表現が、ほかの人の表現をどんどん引き出していくのはワークショップの醍醐味です。
たくさんの「わたし」が湧き上がってくる
だんだんあったまってきたところで、「わたしは◯◯」という例えを考え、その比喩を詩にしてみました。一人で黙々とやる人もいれば、2,3人で一緒に悩みながら言葉にしていく人も。一人で何篇も詩を作る人もいました。
あくまで「詩であそぼう」が今回のテーマ。思わぬ表現が自分から飛び出てきたり、ほかの人の表現を楽しむということが目的であり、《詩を仕上げることがゴールや宿題ではない》とお伝えしましたが、実際のところ、たくさん素敵な詩が生まれました。
できあがった詩の発表の仕方もそれぞれで、自分で朗読する人、ほかの人に朗読を託す人、踊る人。冒頭で率先してみんなの緊張をほぐしてくれたHさんは、車椅子から降りて「モグラ」の表現をしてくれました。
ふかふかとした春の土や眠気を感じる詩とダンス。Hさんは、白いボードに「『し』になるなんてとってもむずかしかったけどさいこうです」「おれのこえはおれのからだ」と感想を書いてくれました。
こちらは、Mさん作。
この詩について、参加者Nさんは「Mさんが皮剥かれるのが嫌だと朗読した時は、私まで皮を剥かれたような気持ちになって本当に嫌でした」という感想をくださいました。名前を間違われたり、皮をむかれたりするみかんの、なんともスッパイ気持ちになる詩です。
「ゴールがない」ことが生む、豊かな時間
九州障害者アートセンターの職員さん方と、後日振り返りを行い、「ゴールがない感じがすごくよかった」という意見をいただきました。事前の打ち合わせでも、「詩を作らなきゃ!と介助者や本人が思いすぎると、楽しくないよね」という話をしていて、とにかく詩を楽しむ、詩とあそぶことに注力しました。
すると、ジャッジをせず表現を受け止める心の余裕が生まれ、景色を眺めるようにみなさんの表現を楽しむ時空間となりました。わたし自身が一番、(わたしが求めずとも)どんどん出てくる表現にあっけにとられ、楽しんでいたと思います。(あれ、詩のワークショップのはずなのに、ダンスも絵も見せてもらって…なんてぜいたくなんだろう!?)
世の中では、たとえば学校でも会社においても、アウトプットが求められ、その出来具合が問われます。近頃では、「コスパ」だけではなく「タイパ」(タイムパフォーマンス)という言葉まで出てきて、アウトプットの質だけではなく効率のよさをとにかく求められている印象です。
そういった意味で、今回のワークショップはそういう流れとは逆行しています。ゆっくりと時間をかけ、アウトプットを求めない。でもそういう時間こそ、言葉にじっくり向き合い、誰かから出てきた表現を大事にし、大事にされ…大げさに言えば「生きててよかったなぁ」みたいな感覚につながるのかもしれません。
これからも、詩や表現に出会い、心がシーツのように広がってはためくような時間を作っていきたいと思います。