
詩のマル「。」問題?
草間です。
週末、ケトルドラムで開催された詩誌『La Vague』の合評会で、「詩の中の『、』や『。』について」という面白い議論ができたので、そのことについて考えたことを書きます。
詩に句読点、使う?
ゲストでご参加くださった藤井一乃さん曰く、詩集のなかで、「、」や「。」の有無は統一した方が良いと思う。また、もし部分的に句読点を使用する場合は、それ相応の理由と覚悟を持つべきではないか、とのこと(ニュアンスが違っていたらごめんなさい)
つまり、「何となく」で使うものであってほしくない。
たしかに、と思います。
詩人のシーレ布施さんによると、読者の詩を読むリズムを意図的に切りたい時に句読点を打つ、と。
そうだよな、と思います。
では、自分はどうかというと、散文詩を書く時以外は通常、詩に句読点は使いません。
ただ、詩を書き始めたばかりの頃は、律儀に句読点をつけていました。なぜかというと、中学一年生の頃、新聞社主催のイベントで谷川俊太郎さんから国語の授業を受けたことがあり、その時に谷川さんが、こうおっしゃったことを覚えていたからです。
「文章は、終わらせないといけない。だからちゃんと、マルを打つこと。でないと、途中で放り出すことになるから」
もちろん、谷川さんは詩ではなく散文を指しておっしゃったのでしょうが、谷川さんといえば詩、と思っていたので、いざ自分も初めて詩というものを書いてみようとなった時に、いざ谷川俊太郎、と腕まくりして、自信たっぷりに「。」を打っていたのです。


投稿を始めて一年もする頃には、技法として使うことはあっても、ただ慣習のように詩の区切りで句読点を使うことはやめていました。もちろん、あえてつけるといった場合もありますが。
そもそも、行分けの詩の場合、読点を打つまでもなく文節が分かれています。では、どういう基準で行分けしているのかと聞かれれば、「感覚です」、とか「リズムや視認性を意識しています」とかしか答えようがないですね……。
(詩人の草野心平は、まるで「、」のように「。」を使っていたりもして、ユニークです)
マルハラと詩性
「。」について考えているうち、思い浮かんだのが、最近の「マルハラ」という潮流です。
マル・ハラスメント。非同期のコミュニケーションにおいて、特に若い世代の方が、末尾に「。」のついたメールやチャットを受け取ると、威圧感をおぼえるのだそう。
さらに、実際に非同期でやり取りをしていて感じるのが、「送付スパンが短い」、ということ。例えば、
「ちょっと思ったんだけど」👉送信
「前に草間さんが話してたあれ」👉送信
「試してみようかと思って」👉送信
(まったく内容がないよう……)このように、短い文節がシュポポポッと一連の流れで連続して送られてくることがあります。つまり、長文で文章を構成して丁寧に「。」を打ち、まんをじして送付、というより、頭に浮かんだことがそのまま声のようにメッセージとして吐き出されているようです。
末尾に「。」のついていないメッセージを矢継ぎ早に受け取っていると、たまに詩のような素敵で面白いフレーズと出会えることもあります。
つまり、内容が一度噛み砕かれ、文章として構成される間に失われてしまう言葉そのものの雑味のようなものが、そのまま手放されてしまうからこそ、そこに、意図せず詩性が宿ることがあるのだと考えています。
もちろん、ただ頭の中にある言葉をのべつまくなしに吐き出すことは詩作ではありません。正しくわかりやすい文章を書けることは、言葉を伝達の手段として捉えた場合は重要なことですし、また必要なことでしょう。
しかし、言葉そのものを面白がるという点においては、時代とともに崩されてゆく言葉の様相も、楽しんでいたいと思います。
以下は、同僚から送られてきたチャットがあまりにも意味不明だったので、思わず少しだけ手を入れてしまったもの。
(質問)故郷がよく失踪します。友人に帰ってきた時はもうすでに大人になって帰ってくる仕草ですが、ある友人から聞いたあらゆる故郷の砂利道です。あらかじめ箱の中から抜け出しておき、光を放つ木戸の前を通る時、故郷に握られて、さしずめ戸板の上に擦り付けられた友人は、指でトンッ!! トンッ!! と叩かれる始末。すぐに箱に戻されたようですが、そのようにこぼれ続ける光はあるのでしょうか?
これはただの偏見ですが、自分が働いているIT業界では、たまに訳のわからない面白い文章を受け取ることが多い気がしています。彼は何を伝えようとしていたのだろう。
最近では、詩のセクションを分ける「連」についても常に疑いを持って使いたいなと考えており、連を最小限にする短い詩をよく書いています。これについても、自分なりに答えを出せたらと思います。
最後になりましたが、私の第三詩集『ハルシネーション』が、このたび第75回H氏賞を受賞しました。大変光栄なことだと感じるとともに、今後よりいっそうよいものを書いていくための努力を続けていきたいと思います。
『ハルシネーション』より、「。」を使い、でも「、」はひとつも使わずに書いた散文詩「息をひそめて」をひいて、終わりたいと思います。
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