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茂野です。
みなさんは帰り道のこと覚えていますか?
今回は、私が子供の頃通った小学校からの帰り道を辿ってみようと思います。
Poetic Mica Dropsに「帰り道」という作品があります。視聴しながら読み進めてみてください。


学校から家まで

私の生まれ故郷は新潟県新発田市。新潟市から少し東に位置しています。
卒業した小学校は新発田市立猿橋小学校。私が通っていた頃は猿橋小学校と猿橋中学校が同じ敷地にありましたが、今は小学校だけ別な場所に移転しています。
ということで今回は、以前猿橋小学校があった場所から、当時私が住んでいた場所までを辿ってみます。

現在の猿橋中学校
以前、同じ敷地に猿橋小学校もありました
学校の右脇の道が私の帰り道
帰り道を挟んだ向かいには神社
神社はずっとここに在り続けるでしょう

田んぼ道の想い出

私の帰り道は、現在は住宅地を通る道路となっていますが、私が小学校に通い出した頃は、途中道路の周りに家はなく、田んぼに挟まれた一本道でした。

帰り道、現在の姿
この先が田んぼ道でした

現在の姿からはイメージしにくいと思われますので、田んぼ道の写真を仮に合成してみました。赤白のガードレールから先が田んぼ道でした。

夏はこんな感じ。

稲穂に挟まれた道

小学校から帰る途中、友だちとよく田んぼ、用水路、ドブ川、水溜りで遊んだことを思い出します。
6月の熊谷弥香執筆記事にカエルの卵のことが書かれていました。

カエルの卵から小さなオタマジャクシが生まれて、足が出て、手が出て、カエルになっていく様子がおもしろく、私も興味をもって観察していました。

秋はこんな感じ。

稲刈りが終わった田んぼ

あの頃の秋、帰り道の脇、稲刈りが終わった田んぼには、刈り取った稲を天日干しする稲架掛けの風景が毎年ありました。私にとっての原風景の一つです。

稲架掛け (サンプル写真)

その後、どんどん田んぼが埋め立てられ、たくさんの家が建てられていきました。
私が小学校を卒業する頃には、すでに今の姿に近かったかもしれません。

田んぼだった頃の名残り

家と家との間には今でも真っ直ぐな小さな川が所々流れていて、たぶん用水路の跡でしょうか、この辺りがかつて田んぼだったことがうかがえます。

住宅地の道へ

田んぼ道を500メートルくらい歩いたこの交差点を右に曲がります。

右折してまた真っ直ぐ進みます。
当時からこの辺りは住宅地でしたが、道路左側にドブ川が流れていて、そこでもよく遊んだ覚えがあります。今は蓋がされて見えなくなっています。

この道をまた真っ直ぐ進む

200メートルほど歩いたところを左へ。

次の狭い道を左へ

左へ曲がり、左3軒目くらいのところに私の家がありました。

最後の曲がり角


建っていた家も、住んでいた人も、ほとんど変わってしまいました。
たぶんここが以前私の家があった場所と思われます。


かつて、この場所にこんな家が建っていました。

2階右が私の部屋でした

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