2024年 6月の振り返り
7月に突入。2024年の半分が過ぎたという事実に言葉が出なくなる。日々を過ごすほどに、時の流れの感覚が速くなる。冬の終わりをじっと待っていたかと思ったら、夏至を追い越してもう梅雨の真っ只中にいる。ようやく私の心も夏仕様になってきたところだ。
6月は、5月に続き忙しかった。スケジュールの問題だけでなく、いろんなことに余裕がなくなって、忙しくなってしまった。時間、お金、体力、気力、そういうものに余裕がない生活。なんとかその日を生き延びるというか、耐えるというか。ときに浪費に思える日もあるし、本当に、ただ生きただけのような日もあった。忙しいと口にしてばかりの人にはなりたくないが、なんだかそうなってしまっている気がする。
でも、そんな余裕がない日々の中にも少しの隙間を与えてくれる存在ができた。それは、オクラだ。オクラの苗をもらって、鉢に植えた。毎日、朝晩様子を見て、水をあげる。暑い日は、オクラがくったりしていないか心配になるし、激しい雨の日には、こんな雨に耐えられるだろうか、と気になって落ち着かない。一人暮らしの生活に、そうやって気にかける存在ができたことがうれしい。自分のことが疎かになっていても、オクラには水をあげたいと思う。植物の友達がほしかったから、ちょうどいいタイミングでオクラが我が家にやってきてくれた。オクラを育てていると、植物に感心してしまう。人間みたいにあれもこれも食べないで、水を吸収するだけなのに、毎日確実に大きくなっていく。水と太陽の光で、こんなにもすくすくと育つものなのだな、と感動してしまう。そういう目で世の中を見渡すと、あちらこちらに存在する植物たちのものすごい生命力を感じるし、自然の偉大さを実感する。オクラのおかげで、明日も生きたいと思える。オクラの成長が見たいから。どんな花が咲くのか、どんなふうに実がなるのか、責任をもって見届けたいと思う。育てるということは、こういうことなのだろうか。でも、こんなにも愛着がわいてしまったら、どうやって食べたらいいのだろう。そのときは、その時に考えることにしよう。
オクラに水をやりながら、星の王子さまを思い出した。私の大好きな物語だ。星の王子さまが水をあげて世話していた一輪の薔薇は、王子さまにとって、特別な薔薇になった。それで、その薔薇をヒツジが知らずにパクッと食べてしまうことなんかがあれば、それは王子さまにしたら大変なことだった。それを真剣に心配する王子さまの心が優しくてきれいだと思うし、王子さまの心配事に真面目に取りあってやれない大人のようにはなりたくない。あの薔薇が王子さまにとって特別であるように、このオクラは私にとって特別なオクラで、大切なことを教えてくれる。きちんと世話をし続けたい。水をあげる人は私しかいないのだから。
大学の方も、6月は盛りだくさんだった。ゼミで自分たちの展示を開催した。それから授業も結構みっちり入っている。4年生なんて、ほとんどみんな授業を取らないし、学校にも来なくなる人もたくさんいるのに、私は全くそうじゃない。留学中にとった単位はうまく互換できなかったから、その分の単位を今取らないといけない状況だ。でも、それを覚悟で留学したわけだし、留学したことでしかでか得られないものをたくさん持ち帰ってきたから後悔はしていない。着実に、自分がやるべきことをやるのみだ。6月半ばから、しばらくやっていなかったバイトも再開した。バイトを始めると、体力と時間は消耗するが、お金は入るからいい。ベッドの中で時間を潰すよりは、バイトをした方がはるかに効率的だ。それに、程よい疲れは心地よかったりする。バイトをして働いていれば、簡単に自分を認めて褒めてあげられたりもする。授業に、卒制に、バイトに、就活に、実習に、やること考えることがいっぱいで、この先やっていけるか不安になることもある。逃げ出しそうになる自分にももう慣れた。でも、最近思うのは、現実は私が思っているよりも大したことないということ。私の想像よりも、現実はどうってことなくて、辛くない。生きれるほどの現実だ。だから、想像した未来が重たくて、生きていける気がしなくても、きっと普通に生きていける。気がついたら、その未来は過ぎている。今がそうであるように。私はどうやら、最悪のシナリオをつくることに慣れてしまったようだが、そのシナリオはあくまで想像であって、現実でないことをちゃんと区別できるようになりたい。そして、どうせなら幸せな想像をするクセを身につけたい。根拠のない不安は、根拠のない自信にもなり得るということ。すぐに忘れてしまう大事なことを、いつでも思い出せるところに置いておこう。
7月も、いろんな変化がありそうなひと月だ。私が怖気付かなければ、きっとすんなりと生きていける。
感謝して、委ねて、選んで生きていきたい。