記憶の隅に追いやった部活の思い出が社会人になった時によみがえった話
部活って学生時代に夢中なれる最大の経験のひとつ。大人になってから振り返ると、若くてがむしゃらだった自分、強くなりたくてハードな練習に耐えたこと、いつも一緒だった仲間のこと、すべて懐かしくいい思い出。でも、私には記憶の暗い隅っこに押しやった部活の思い出がある。楽しい、夢中になった、仲間と一緒だからがんばれた、とかそんな青春の輝きとは無縁の思い出が。
小学生の時に球技が得意で、すばしっこかったこともあり、中学に入ると迷うことなくバスケットボール部に入部した。
バスケ部の練習を見学した時にワクワクした。素早い動き、ドリブルの時のボールが弾む音、シュートが決まった時の興奮、かっこいい先輩、かっこいいバッシュー(バスケットシューズ)。
胸ときめかせて最初の練習に参加。
最初は先輩の練習を脇で見学しながら声をだすところから始まった。
その声がけとは、ファイト、一発!的な言葉で、1フレーズが5秒くらいの短いもの。それを途切れることなく部員がかわるがわる連続でつないでいく。だれかと声がだぶったらだめ、声が小さいとだめ。響くくらいの声でタイミングよく入り込むことがとても難しかった。
練習(といっても声がけと掃除やボールの片づけ)が終わった後は、部室で反省会が始まる。新入生は床に正座して、上級生から説教される。
声がでていない子がいたとか、もっと気を配って動けとか。
あまりの怖さに、新入部員は皆ひくひく泣き始めた。
その数日後、顧問の先生に正座させて泣かせて説教していることがばれて、上級生は先生からこっぴどく怒られた、と言って新入部員に当たり散らした。幸いそれ以降、正座と説教はなくなったが。
しばらくするとやっとボールを使っての練習が始まった。二人ペアでパスの練習から。もちろんいつでも声がけは必須。
私はいつも声がけのことばかり考えていた。声がかすれて大きな声がだせない、タイミングがうまくつかめない。
声がけをうまくできなかったり、回数が少ないと先輩に怒られる。
私の中で声がけへの緊張と恐怖がどんどん大きくなっていった。やがて、シュートが決まった時に気持ちいい、バスケットが好きという熱意は冷めていった。
正座、説教の段階で部員はばたばた辞めていった。その3か月後、私は声がけが苦痛になり辞めた。20人以上いた新入生のうち、3年生まで残った部員の数は6人くらいだった。
その後、私は足がはやいという特技をいかして陸上部に入り、大会でも入賞するくらいの成績をおさめ、いい仲間にもめぐり会い、青春の1ページを飾る部活を経験することができた。
バスケ部での経験、これと同じようなことは社会にでてからも起こるものだ。
旅行が好きで入社した旅行会社。残業が多く、仕事もハード、きつい先輩がいる状況で、入社半年で2,3名、そして入社3年までにさらに数人が辞めていった。
私は、生き残り組。怒られて泣いたことも多かった。会社が終わってから同期メンバーと飲み会でなぐさめあった。社会人としてのマナー、旅行業界の知識、会社での仕事、社内ルール、少しずつわかっていき、仕事を覚えていく過程で、辞めたいと思ったことはなかった。
入社数カ月で辞めていく人と、その後も続ける人ってどこが違うんだろう?
皆、旅行業界が好きで入社し、学生から社会人になりたてで誰が飛びぬけて仕事ができるとかできないとかはなかった。先輩は誰に対してもひいきせず厳しかった。皆、同じようなもの。
退職した人は、好きでやりたくて入ったのだけど、それを忘れるくらいどうしてもできそうもないし、できるようになりたいとも思わないってことがあったのかもしれない。
私がバスケ部を続けられないと思ったのと同じように。