ブロッコリーという森

ブロッコリーには“森”感があると、ずうっと思っている。

あのこんもりとした緑のふさが、どうしても森を思わせずにはいられない。

ごろっと丸く、ずしっと重いブロッコリーを手にとって切ろうとするとき、いつだって「いざ伐採」というような心持ちになる。

だってまず、どこから切ったらいいのかよくわからない。

入刀に迷うのだ。

たとえば人参や大根なら。皮を向いたらストンと適当な大きさに切ればとりあえずはよさそうだ。小松菜などの葉野菜だって、端をそろえてストンと適当な長さに切ればよい。どこを切っても、まあおおむね成立する感がある。

でも、ブロッコリーは違う。

木の幹を思わせるような太い茎があって、その先がいつしかぶわっと森になっている。この形状を考慮せず、長さだけを考えて端からストンストンと切っていったらえらいことになりそうだ。

たとえばあの、こんもりとした“森”の端から数センチほどのところで、上から垂直に包丁をおろしたならどうだろう。

ぼろ、ぼろろろろろろ。

わかる。森は崩れる。木々は中途半端なところで切られ、「緑のこまごまとしたつぶつぶ」がぼろぼろと、まな板の上に散らばってしまう。

相手は、森なのだ。

いいかげんな気持ちで対峙してかなう相手ではない。

ブロッコリーを手にとり、形をよく見る。

とくに“森”の中で木々が分岐しているあたりを「じっ」と見つめる。

分岐のもとを、見極めようとする。

けれど奥のほうまでは見通しがきかない。それこそ足を踏み入れてみないとわからない、うっそうとした森のようだ。結局は手前から一歩一歩、道を拓いてゆくほかない。

わたしは今から、この一本一本の木を、なるべく美しく、この森から切り出すのだ。

心を決め、刃先をそっと分岐点に当てる。

「いざ伐採」と。

ブロッコリーに対して”森”感を抱きはじめたのはいつからだろう。

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