【定期】私は今日も生きています
言わずもがなだが、ネットの関係はとても希薄である。ネットで交流がある方でもその方々の顔も、声も、名前も知らない。知ることはない。それでもネット上ではその人のアイコンが顔であり、文章が声であり、ペンネームが名前である。そういうつもりで自分は、noteを始め、このネットの世界を楽しんでいる。
それでも、誰でも簡単に始められて、それゆえ簡単に辞められるものがネットである以上、別れは突然にやって来る。まだ、ネットの世界に顔を出して半年も経っていないビギナーだけど、やはりネットの世界はそうゆう意味で残酷だと感じる。
実際、noteでも自分が毎回の投稿を楽しみにさせていただいていた方の投稿がパタリと止んでしまった。最後の投稿は私生活が忙しいといった旨だったから、忙しくしていてnoteを引退してしまったのかもしれない。それならそれでいいと思う。けど、もしも、もしものことがあったのなら?そういう思いを拭いきれない。
最近、ちょこちょこツイッターもやっているのだが、「このアカウントの持ち主は亡くなりました」といった旨のツイートを見たことがある。フォローはしてなかったけど、ちょくちょくいいね!してたぐらいの人。
大した絡みもなかった人だけど、すごく悲しくなった。本当に?って思ってしばらくアカウントをチェックしてたけど、しばらくしたら消えてしまった。
ネットの世界は楽しいけど、こんなに悲しくなることもあるのだと、ネットの暗い部分を垣間見てしまったような気がした。「嘘だったらいいな」とも思うし「嘘だったらむかつくな」とも思う。
無数にあるネット上のアカウントの一つにこんな一喜一憂するのは無駄な事なんだろうか。それでも、実際に会うこともできない方々だから、自分が仲良くしたいと思う人と仲良くしたい。たとえ、急にいなくなるとしても。
こんなことを言っておきながら、自分も頻繁に投稿する方ではない。それでも、こんな大したことない文章を楽しみにしてくれている人が一人でもいるかもしれない。そう思ったら、書こうって思えるからやっぱネットは素敵な世界だと思う。
投稿は表現だ。リアルじゃ見せられない自分を見せる究極の自己満足。でも、みなさんの投稿を見る度に思うのだ。ああ、今日も生きていてくれて良かったと。