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自分事とする才能

最近は、いや、最近というよりたぶん昔からずっと、暗いニュースがあふれている。嫌でも目に入ってくる痛ましいニュースの数々の中でも、自分が特に印象に残っているのが、子供が行方不明となるニュースだ。

最近はその類のニュースが立て続けに起きてしまったような気がする。子供が行方知れずになったとき、全国からたくさんの、本当にたくさんの人がボランティアに参加している様子をニュースで見ていた。

そのボランティアの方々にインタビューをするリポーター。参加していた女性の方がこのようなことを仰った。「私にも同じくらいの歳の子がいるから他人事と思えなくて、居ても立っても居られないので参加しました」

細かい内容は違うと思うけど、大まかにはこのような内容だったのだが、この言葉を聞いて自分は本当に感心したのだ。赤の他人のことをこんなにも自分事として考えられるなんて…なんて凄いんだろう、と。

人間は、あんまり良い言い方ではないけど、ほとんどの人は自分が一番可愛いものだと思っている。子供が行方不明になった親の心痛より、自分が仕事でしたちょっとしたミスのほうがつらい。遠い国で戦争に巻き込まれる子供より、自分の貯金残高を憂う。車に轢かれた誰かより、自分のささくれのほうが痛い。極論、そうではないかと思うのだ。

だからこそ、誰かのことを、ましてや赤の他人のことを、自分のことのように思えるこの人に憧れたのだ。それは強烈な才能を目の当たりにしたときのような、いや、"ような"ではなくきっとそれはある種の才能なのだ。『自分事とする才能』。

日本という国は、不思議と他者と干渉することを極端に嫌う国民性だと思う。例にも漏れず、自分もそうゆう人間だと思う。だから、ほとんどの人が自分が一番可愛く、誰かに起こることはすべて他人事にしてる。

でも、たぶんそれじゃあダメなんだよなと思う。きっと世の中を良くできるのは自分事にする才能がある人たちなんだ。社会的に弱い立場にあった女性のために立ち上がった人たちが、遠い国の子供のために募金ができる人が、行方不明の子供のために休日を返上してボランティアに参加できる人がきっと日本を良くしてきた。

でも、こうゆう生き方をできるかと言われたら、どうだろう、ぶっちゃけ自信がない。だから、才能なんて呼び方をしてしまっているのかな。才能ならできない言い訳になると思ってしまっているのかもしれない。

少しずつでも自分を変えていけるだろうか、分からないけど、誰かのために動ける自分を見てみたいと思う自分は紛れもなく本物だ。期待してみよう、これからの自分に。

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