誰でもいいなら誰も選ばない
「今日の夕飯なにがいい?」実家時代、母親に幾度となく言われた言葉。まあ、パッと思いつくことは珍しい。特にお腹がそれほど空いていない時は何も思いつかない。「なんでもいいよ」と幼い自分は答えていた。今となっては申し訳ない、個人的"恋人に言わないように気を付ける台詞"ベスト3には入る。そのくせ、「なんでもいい」で出てきた夕飯に納得いかないことも多々あった。なんとも救えないやつである。
それから月日が経ち、自分も弟も家を出た。久々に二人とも帰省した時、また聞かれた。「今日の夕飯なにがいい?」二人してお腹が空いてなかったから「なんでもいいよ」なんて言った、我ながら成長していない。
でもそこでこんな話をした。「なんでもいいってさ、なんでもよくないんだよね。何が出てきてもいまいちだなーって感じ」
本当にたわいない家族との話。でもこれは人間関係にも言えるんじゃないかと最近ふと思った。つまり、誰でもいいは誰でもよくないんだと思った。
誰でもいいから遊びたい、誰でもいいから付き合いたい、誰でもいいから殺したい。それは本当に誰でもよかったのだろうか。
自分は高校の時、一度も話したことがない人に告白された。なんで?と思った。でも少し考える時間をもらって結局付き合った。たぶん付き合えるなら誰でもよかった。
「付き合ってから好きになるかもしれないし」的な、なんとも甘くて失礼で情けない考えで始まった恋愛は相手に振られて終わった。結局、最後まで相手のことを好きになることはなかった。
誰でもいいというのは、この人だ!と思える人がいないことだ。それなら、誰も選ばないほうがきっと幸せだ。それでもきっと、愛に、温もりに、優しさに、飢えて飢えてしょうがない人がいる。
でも、本当に本当に一人でどうしようもなくても、誰でもいいと思うんじゃなくて、この人だと思える人を見つけるほうがいい。極論を言ってしまえば、誰でもいいなら自分自身でもいい。とことん自分と向き合えばいい。
分かっている、こんなの理想論だってことぐらい。でも好きなアーティストが言っていたんだ、「歌手は理想を歌うのが常だ」と。だから自分はnoteで理想論をまき散らすよ。