君の辛さを平凡にしたがる 人の無自覚が誰かの辛さになる
もしかしたらこのタイトルを見てピンと来た人もいるかもしれない。これは自分が敬愛してやまない、とあるアーティストの曲の一節であり、自分の座右の銘となっている。
みなさんは心当たりないだろうか。「〇〇が大変で」という友人の愚痴に「それで言ったら自分だって」と言った経験が。「俺もテスト勉強してないわ」「私の職場も上司が最悪で」「俺なんて借金あるんだぜ」etc.エトセトラ、えとせとら。
その言葉は実に様々な影響を自分にも相手にも与えていると自分は思うのだ。
相手より自分の方が辛いと言うことは相手の辛さに寄り添うどころか、それぐらいで辛いとか言うなと突き放すことと同義だと自分は思う。
それに自分たちは他人より不幸であることを主張し、謎の優越感を得ようとしてしまう。日本人は世界で見て幸福度が低いらしいから、これは人の性ってより日本人の性なのかもしれない。人より不幸なことで得る優越感とは一体なんなのだろう。なににおいて優位に立っているのだろう。冷静に考えれば意味不明だ。
これも同じアーティストの歌詞の一節なのだが、この醜い感情の本質を捉えている気がする。もしかしたら、私たちは恵まれすぎているのかもしれない。みんなが幸福な世界では、不幸であることは一つのアイデンティティになり得るんじゃないか。そう思うと怖い。
幸福を得るために不幸を求める。ああ、愛しき”かわいそうな自分”。見て!もっと見て!自分ってこんな不幸なんだよ!「今日、こんなことがあったんだよ。まじ最悪!」「それはヤバいねー、でも、それで言ったら私も嫌なことあってさ—」
まさしく負のループだと思う。どうしたらこの負のループから抜け出せるのだろうか、嬉々として不幸話をする自分を卒業できるだろうか。
考える、考える、考える。常に頭の片隅にこの座右の銘を置いておく。いつでも見返せるように、分かりやすいところに置いておく。自分を少しでも誇れる自分にするために、考える、考える、考える。
「今月残業ヤバくてさー」友達が言う。「ヤバ!ブラック企業じゃん!自分は基本定時だもんね(笑)」これが今の自分にできる精一杯。そうだ、自分は幸福なのだ。
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