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誤字につまづく。

noteを始めて一週間経って、ようやく他の人の記事をちゃんと読むようになってきた。自分の気持ちを吐き出したいって欲求が少し落ち着いてきたのだろうか。

他の方々の記事を読んでいると、みなさまレベルが高い!笑えるもの、感動するもの、切なくなるもの、応援したくなるもの、さまざまなジャンルがあるがどれも素晴らしい作品である。

でも稀に、ホントにごく稀に、記事の中に誤字を見つける。脱字だったり、漢字の変換ミスだったり、変な句読点の位置だったり、おかしな言い回しだったりもする。自分はこれらを小さな、小さな、小石だと思うのだ。

読むという行為は、”物語”という道を走り抜けることだと思う。タイトルに惹かれ、初めの一文を読み、結末に向かって走り出す。その途中、つまづいてしまう。他の人なら軽々と飛び越えるのかもしれない、あることにすら気づかないかもしれない小石に。

自分は、つまづいたその小石をまじまじと見つめる。なんでこんなとこにあるんだろう、もやっとすることも多い。基本は作者が拾い忘れた小さな障害物だ。でも、時々その小石に、見つけてくれてありがとう、と書かれていることがある。

作者があえて置いた小さな、小さな置き土産。それは、物語に深みをもたらすこともあるし、いつからか走ることが目的となっていた自分に、もっとこの風景を楽しむように、と促してくれることもある。

noteを書いている方々は文章のスペシャリストだと(勝手に)思っているので、このつまづきはあえてやっているのだと思っている。ホントはただ拾い忘れただけかもしれない。でも、あえて置いてあると考えると、ただの小石が愛しく見えてくるものだ。

自分は、まだまだ文章を書くことに関して素人だから、あえて小石を置いておくなんて高度なことはできない。だから、まずは走りやすい道を作るように心がけている。でも、もしかしたら自分がこだわって置いた句読点が、誰かをつまづかせているかも。でもそれは不思議と嬉しい。自分とあなたは同じ道に違う風景を見ている。

記事を投稿する前に、何度も何度も見返す。誤字がないか確認する。よし、完璧!…なはずだったのに。次の日に、なんで見落としていたんだってぐらい大きな石を見つけたりする。noteはすぐ編集できるからこうゆうとき便利だよね。


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ぽこまる(外村ぽこ)
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