溶け出す時間に溺れて
自分は元来、考えることが好きだ。誰かの放った何気ない一言、読んだ本の一節、漫画のキャラの独白、日常の些末な出来事を、頭の中で反芻して大きくしていく作業が好きだ。
noteを始める前は、それらはふとした瞬間に頭の中で膨れ上がり、気づいたら消えている存在だった。でも、noteを始めてからは、それらを頭の中で文章にする癖が付いたように思う。
急に頭の中に湧いた考えは、基本思いついた時点でスマホにメモするようにしている。それでも人間、リラックスしてる時にアイデアが浮かぶものなのか、お風呂に入っている時に考えが浮かぶことも多い。
そんな時は、消えないように頭の中で必死に文章にする。頭の中だけで、思考を洗練させていく。そうすると、自分の居る場所が頭の中になっていく。だから、自分がシャンプーをしたかどうかも分からないことも多い。
こうゆう時、時間が溶けているという感覚に陥る。
この感覚は、いわゆる「集中している」という状態なのだろうが、自分は文章を書く時、高確率でこの感覚になる。
というのも、自分は先述したように頭の中で膨らんだ思いが「溢れ出して止まらねえ!」となったらnoteを書くことが多い。だから、気が向かない時は平気で3,4日ぐらい書かなかったりするのだが。
ゆえに、頭の中を書き出しているのでタイピングは基本ノンストップ、1時間ぐらいで駆け抜ける。だから100文字ぐらい書いたところで時間が溶け出して、終わったらこんな時間かと思うことが多い。
また、最近新たな試みとして詩のようなものを書いた。常日頃から思っているのだが、エッセイにすると言いたい事がぼやけるような、鮮度が落ちてしまうような考えをぎゅっと凝縮して伝えたいと思ったから。
これらは150文字ぐらいしかないのだが、書くのにエッセイと同じくらい時間がかかっている。自分の言いたい事が伝わるように、それでいて読者に考える余白を残せるように、何を書いて何を消すか、吟味しているうちに時間が溶ける。
エッセイも詩も「思ったことをそのまんま書く」というマイルールのようなものは変わらない。それでも当然、読者層は変わってくるわけでスキしてくれる人も変わってくる。詩がもっと多くの人に自分の文章を読んでもらうきっかけになれば嬉しいと思う。
noteを始めたことで感じることができたこの、熱に当てられて溶け出すバターのような時間は、間違いなく今の自分の生き甲斐になっている。
溶け出した時間に溺れて、沈んで…それでも息継ぎしないと死んでしまうから、いつもの日常に戻っていく。そこで新たな気づきという名の酸素を肺に溜め込んだらまた、深く潜っていこう。