〈葉っぱ〉と〈日々〉
ゴルフに行く夫がクルマを使うので、今日は〈日々〉という名のクルマで出勤した。
義父が生前に追突事故をして以来、車検を通る程度の修理しかしていない。
小さな凹みは数知れず、ひとことで言えばボコボコの軽だ。
「運転をやめる」と義父が言った直後、気が変わらないうちに早々に引き取り、うちのセカンドカーとなった。
日ごろは相棒の〈葉っぱ〉で出勤している。
EVでもってスポーツ仕様なので加速もよく、ちょっと無理そうな合流でも、すぐ流れに乗れる。
その感覚で〈日々〉に乗ると、気持ちは先に行ってるのに、後部からギコンギコンと金属音がして、エンジン全開なのに走らない。
最初は乗るのも嫌だったが、頑張って走っている〈日々〉が健気に思えて、最近少しだけ愛が芽生えたような気がする。
〈日々〉に乗ると、感じることがある。
クルマ社会を、弱い立場の視点から見ることができるのだ。
日ごろ、走り屋の〈葉っぱ〉に乗っていると、ノロノロ走る軽を邪魔に思うこともあるが、立場が逆転すると見えてくる。
速い車が偉いわけじゃない。
高価な車に乗っている人が偉いんじゃない。
クルマ社会の下座行と言ったらいいだろうか。
それを知ることは、大切だと思う。
うちの〈日々〉は8歳なので、装備も当時のまま、大したものはついていない。
一番感じているのは、安全性の違いだ。
義父がアチコチぶつけているのは、年齢的なものが大きいと思うが、クルマのアシスト機能がかなり違う。
自分の感覚が全てなので、ふと自分もぶつけてしまうんじゃないかと、心もとなくなる。
〈葉っぱ〉は、走行中や交差点で、動く人や自転車に反応して教えてくれる。
ブレーキが遅れたときも、そうだ。
アラウンドモニターのおかげで、狭い駐車スペースにもピッタリ停めることができる。
人間の「うっかり」をアシストしてくれることで、ゴツンとやってしまうことを減らしてくれる。
高齢者が乗るクルマにこそ、そういう機能を充実させてほしい。
ただ、あのタッチパネルを使うとなると、それもまた高齢の人には難しいのかもしれないけれど。
自分も気づけば高齢者の一歩手前。
大好きな相棒〈葉っぱ〉と一緒に、安全運転でいきたい。
〈日々〉も動く限り、大切にしよう。