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なぜ祖母の「願掛け」は《鶏肉断ち》だったのか?
太平洋戦争中、徴兵にとられた息子(私の伯父)の無事を祈って《鶏肉断ち》で願を掛けた祖母が、戦後、彼が復員した後も神仏との約束を守り、亡くなるまでの35年間、まったく口にしなかったエピソードを記事にしました。
なぜ息子が無事帰還した後も《鶏肉断ち》を続けたのか?
noterさまからコメントをいただきました。
あの時代、多くの不幸を見てこられた思いますので、無事復員されたことに、生涯をかけて感謝をささげておられていたのでしょうね。
「食べた途端に息子が病気になったら」などと考えると、もう食べられなくなってしまったのでは…などと想像してしまいました。
・感謝を忘れることなく、誓約を継続する。
・願掛けを破って起こるかもしれないことを怖れた。
どちらも当てはまると思います。
加えてもうひとつ、理由としてあるのではないか、と考えていることがあります。
そもそも、なぜ「鶏肉」だったのでしょうか?
祖母は願掛けの「範囲外」だった「牛肉」「豚肉」は構わず食べていました。
「鶏は食べないが四つ足を食べる」というのは、逆のような気もします。
・父は子供の頃、家で鶏を飼っており、朝、生みたての卵をとりに行くのが彼の日課だったそうです。
・小牧にあった母の実家でも鶏を飼っており、卵をとるだけでなく、大切なお客をもてなす時には鶏を「絞める」ことがあり、母は怖くて見ていられなかった、と言っていました。
祖母(父の母)も、鶏を飼う家の主婦として、
① 鶏を絞め、
② 羽をむしり、
③ 調理する
というプロセスを、否応なく何度か経験していたことでしょう。《殺生》の実行者だったわけです。
《生きて息子を還して欲しい》
と神仏に祈願した際、彼女の脳裏には、自分の手によって断たれた《命》の情景が蘇ったかもしれません。
だとすれば、祖母の《鶏肉断ち》には、自らの「食」の選択肢を《贄》として神仏に捧げただけでなく、過去に行った「殺生」に対する《贖罪》も含まれていたのかもしれない ── とも思うのです。