
沖縄復帰50周年に《四面楚歌》の日を想う (エッセイ)
その日、僕たちはいつものように、教科書で机を叩き、新任の数学教師に《休講》を要求した。
天気が良かったので、グラウンドでソフトボールをしたかっただけだ。
高校に入学して間もない僕たちは、早くもこの学校の(教師から見れば)《悪習》に染まり、くみし易い教師を(言い方は悪いが)脅し、《休講》を勝ち取って遊ぼうと、常に企んでいた。
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話が横道に逸れるが、今年3月に開催された「ZOOMクラス会」で、
「あの頃、授業の始めに毎回毎回『休講!休講!』と喚く生徒たちのことを、先生は一体、どう思っていたのだろうか?」
という発言があり、半世紀ぶりに(ちょっとだけ)しんみりした。
クラス会の後で同居人に話したら、
「生徒の中にも、ちゃんと授業を受けたい、という人がいたと思うわ。でも、あんたみたいに声のデカい悪ガキ連中におされて、言い出せなかったのよ、きっと」
── そうかもしれない。
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それはともかく、いつもは生徒に押し負けるか、あるいはなんとか押し返して授業をするか ── だった数学教師が、その日だけは違っていた。
「よし、休講にしてもいいが、条件がある。今月、沖縄が日本に復帰するのを知ってるな。沖縄復帰について議論をしようじゃないか」
「ええーっ!」
失望の声も上がったが、表立って反対しにくいムードもあった。
その高校は、生徒主導の《政治的議論》も盛んだった。
司会役が決まり、いろいろな意見が出た。
・何はともあれ、返還は無条件で歓迎すべき。
・米軍基地を残したままでは、ベトナム戦争に利用されるばかり。アメリカの言いなりではないか。
・沖縄って、昔、琉球王国だったんだから、日本に戻るより、独立すべきじゃないの。
先生はほとんど口をはさまなかったが、生徒の意見が極論に傾こうとすると、
「こういう考えもあるんじゃないかな」
とひとことふたこと話して、バランスを取った。
僕は途中で手を挙げ、1度だけ発言した。
「沖縄から遠く離れたこの場所で、沖縄に住んでもいない人間が沖縄返還について議論するのは《傲慢》であり、時間の無駄だと思う。こんな時間があったら、沖縄の人にここに来てもらって考えを聴く方が、はるかに有意義だ」
── まあ、今から思えば、《Wet blanket》でしたね。
「オレはそうは思わない!」
数学教師が椅子から立ち上がった。
「日本の国民として、沖縄返還とそれに付帯する条件について議論することは、意義があると思う!」
教師の反論は、まあそうだろうな、と思った。
しかし ── 。
「何言ってんだ、お前! ふざけんなよ!」
「みんなが真面目に議論してるのに、何言ってんの!」
「時間の無駄だと思うなら、お前ひとり、ここから出て行け!」
「そうだ、出て行けよ!」
教室内でひとりだけ《四面楚歌》、《村八分》状態になったのです。
いつもなら《賛同》してくれる、悪ガキ仲間にまで、
「お前、おかしいぞ。それ言ったらおしまいだろ!」
と非難される始末だった。
そこで記憶が途切れるので、この後、どう挽回したか、あるいは、挽回できなかったのかは憶えていない。
喧嘩を買って、教室を出て行ったのかもしれない。
いずれにしても、誰ひとり賛成してくれず、かなりのショックを受けたことは間違いなかった。
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沖縄復帰50周年を前に、復帰や基地の問題について、沖縄の人と全国の人との認識の違いについてNHKが調査した結果があります。





うーん。
おそらく半世紀前、両者の意見の乖離は、もっと大きかったことでしょう。
こういった、《沖縄の人がどう考えているかのデータ》も持たずに、ああだこうだ議論するのって、《本土》の人間の傲慢であり、時間の無駄なんじゃないだろうか?
── 高校の休講クラス議論で言いたかったのは、そういうことだったんだけどなあ。
半世紀前の《四面楚歌》を振り返り、改めてそう思うのでした。
ちなみに、私が沖縄の基地を自分の目で見たのは、このクラス議論から35年経ってからのことです。

1980年ごろまでには沖縄以外の全ての都道府県に足を踏み入れていたのですが、沖縄に降り立つには、さらに四半世紀かかったことになります。
── やはり、遠い。
