KISEKIのプログラムに参加しました
こんにちは、アフリカと子どもが大好きな19歳のハセガワトアです。
今週は、KISEKIのプログラムに参加していました!
たくさん学ぶことがあったので、ここに残しておこうと思います。
ルワンダの歴史学習
ルワンダの歴史は植民地以前、植民地時代、独立以降で大きく分けられます。
1994年に起こったジェノサイド(大虐殺)は、独立してからの出来事です。
私は、ジェノサイドに関する事前知識はあったものの、細かいことはほとんど知りませんでしたし、植民地以前の歴史については全くと言っていいほど知りませんでした。
そんな私は、KISEKIのプログラムで初めて植民地以前のルワンダを知りました。
特に、Kandt House Museum of Natural History では本当にたくさんのことを学ぶことができました。
植民地化される前、貨幣制度はなく人々は物々交換で生活していました。
家を建てる時や、農業は助け合い、男子は上の世代から狩りなどを学び、女子は妻や母としてのあり方やかごの作り方を学ぶ。
問題が起こったときは、Gacacaと呼ばれる寄合のようなもので話し合って解決していました。
完璧な社会ではなかったにしても、人々は豊かな自然と共に幸せに暮らしていたそうです。
そんなルワンダを統治するために1899年にやってきたのはドイツ。
ここからルワンダの生活は大きく変わりました。
インフラや教育の面では良い影響をもたらしたそうです。
数の数え方や読み書きが教育され始めたのは、ドイツによって教育がもたらされたのがきっかけでした。
ただ、それ以外の面ではほとんど悪い影響ばかりでした。
ドイツは間接統治という方法を用いてルワンダを支配しました。
そしてその統治を円滑に進めるために、ドイツ、そしてドイツの敗戦の後ルワンダを代わって統治することになったベルギーは、ルワンダ人をツチ族、フツ族、トゥワ族の三つの民族に分断しました。
このことがのちにルワンダ内戦(実際はルワンダだけの問題ではない)で、ジェノサイドを引き起こすことになるということは、多くの方がご存知かと思います。
ルワンダはジェノサイドのイメージが強いですが、植民地以前には素敵な人々の暮らしがありました。
人間の温かさ、人間らしい生活を見て感じることができるKandt House Museum of Natural History、本当におすすめです。
ちなみにミュージアムには蛇やワニもいます。
爬虫類を感じたい方もぜひ行ってみてください!
ルワンダ人と学んだSDGs
プログラムの中では、SDGsについてルワンダ人と議論する時間が設けられていました。
配布された資料では、それぞれのゴールについて赤、オレンジ、黄色、緑で達成率が表されていました。
達成できていれば緑、最も改善が必要なのが赤です。
日本は赤色が少なく、オレンジと黄色が多かった印象です。
ルワンダはほとんどの項目が赤色でした。
そんな中、ルワンダ人含め参加者全員が驚いたのは、ルワンダの唯一の緑の項目が、気候変動の部分だったということです。
ルワンダでは、ビニール袋の制限が厳しく行われています。
このことがどこまで影響しているのかは分かりませんが、とにかくルワンダは地球に優しい国だったのです。
一方その項目、日本では赤色。
まだまだ気候変動に対応できていないのが現状です。
自分たちの便利さのために発展を続けてきた日本が気候変動に取り組めておらず、所謂先進国が壊した地球のために所謂途上国であるルワンダは努力をしている、なんだか申し訳ないような腹立たしいような、不思議な気持ちになりました。
しかし、彼らはSDGsを学ぶ機会はほとんどなく、この事実を知りません。
彼らがSDGsを知ったら怒るかな、気候変動の原因を知ったらどう思うだろうなと思いました。
少なくとも一緒にSDGsについて学んだKISEKIの日本人担当のスタッフたちは、少しずつ世界の状況を知り始め、世界に対する疑問は大きくなってきているようです。
こんなにも日々を精一杯に生き、自然と共生して人間らしい生活をしている彼らがなぜ気候変動の餌食にならなければならないのか、世界は動かなければならないなと強く思いました。
また、彼らの自然と共生する人間らしい生き方を壊し、植民地化によってルワンダを西洋風に変えたのも所謂先進国です。
その入植が原因で起こったジェノサイドについては、また次回の投稿でお話しします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回の投稿も読んでいただけたら嬉しいです。