依存と自立

「自立とは依存先を増やすこと」
という言葉がある。東京大学の熊谷晋一郎氏がよく口にしている言葉(https://www.univcoop.or.jp/parents/kyosai/parents_guide01.html など)で、個人的に、初めて聞いたときは衝撃的だった。

多くの人にとって、依存という言葉には、どうしてもネガティブなイメージが付き纏ってくるのではないだろうか。アルコール依存症とか、薬物依存症のように、病理的なイメージを持ったり、恋人に依存するメンヘラのような光景を思い浮かべる人もいるだろう。(個人的にこれらの例に対して過度なネガティブイメージは持たせたくないというのが正直なところではあります。)

「依存」という言葉は、字の成り立ちからして「依って存する」、つまり「何かによりかかって存在する」のである。分かりやすく言えば、「〇〇なしでは存在できない(=生きられない)」という状態が「依存」ということである。

そう考えると、なんとなく重たいイメージがついてくるのも分かる気がする。だが、よくよく考えてみると、誰だって何かに依存しているのではないかと思う。

子どもの頃は養育者の存在がなかったらまず生きられないし、大人になってからも、本当の意味で一人で生きることはできない。他人や社会との関係性の中で「生かされている」と言っても過言ではないのである。

人だけでなく、好きな物や趣味に救われている人も多いだろう。これらがなくても生きてはいけるかもしれないが、自分として「存在」する上では欠かせないだろう。

そう考えると、依存という現象は誰にとっても身近なものであると思う。その自覚を持つことが、依存という現象を理解する第一歩ではないか。

ただ、度が過ぎる依存は、自分を崩壊させたり、他人に過度な負担をかけることにもなりうる。上で挙げた依存「症」は、自分を崩壊させかねないような状態に達した依存とも考えられるし、依存の形として不健全な状態なのではないだろうか。(もちろん、そこにいろんな背景があるということは考慮しなければならないが。)

だからこそ、冒頭の「依存先を増やす」ことが大事になってくるのだろう。依存の対象があまりにも少ないと、その対象がいなくなったり、依存先としてもはや機能しなくなったりした時に絶望と不安に苛まれる恐れがある。

具体的に、依存先が増えている状態とは、どのような状態なのか。個人的には、「一人で悩む時間が少ない」「頼れる相手や没頭できる趣味が複数ある」の2つが両立している状態のことを指すのかなと思う。(だけど、あえて一人で悩む時間も、泥沼化しない限りでは大事だとも思う。)
苦しくなった時に、その苦しみを和らげてくれる存在に、頼れる時に適切に頼れるのが理想的なのだと思う。

ただ、そうは言っても、実際には依存先を増やすのは難しい。特に人に依存する場合は、個人的な感情から、ある人一人に強く入れ込んでしまうこともあるだろう。その人に依存することに依存してしまうという悪循環にもなりかねない。

依存される側の目線に立っても、まるで相手自身を人質に取られている(「依存させてくれなかったら死ぬ」といったこと)ような思いに駆られることもあるかもしれない。そのため、つい人を依存させてしまうという人もいるだろう。そうなってしまうと、依存する側とされる側で、加害-被害の関係が生まれ、やがて関係性は崩壊していく。

人間関係というものは、どれだけ良好であっても、少なからずお互いに負担をかけ合っている。そういう意味では、そもそも負担はある程度かけ合うものだ、という前提で他人と関係を築いた方が、「他人に負担をかけてはいけない」と思いながら生きるよりは、よほど健全で自由な生き方に繋がるとは思う。

ただ、負担をかけすぎて壊れてしまうような人間関係は、非常に苦しいものだと思う。「適度に」人に依存すること、これこそが「自立」と言えるのではないだろうか。自分や他人を壊すための依存ではなく、あくまで自分を救う(=自分を立たせる)ための依存の仕方を身に付けることである。

ちなみに自分はと言うと、どちらかといえば、相手を頼ることで迷惑をかけないかと考えてしまって、あまり人を自分から頼れない人間である。(相手からの救いの手に甘んじてしまうことは多いが…苦笑)だが、相手を頼らないことが、かえって相手に負担をかけたり、相手を傷つけることもある、ということが少し分かってきた。

だから、なるべく相手に頼りきりにならない範囲で、人に頼ることを最近は意識している。適切な依存の仕方を学ぶことが、真の自立につながるのだと信じて、試行錯誤しながら生きていきたい。

あまり考えがまとまらなかった…何か意見があれば欲しいです笑
ぜひよろしくお願いします。



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