ぽんから

マイノリティ問題に興味のある吃音者。

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最近の記事

好きなこと・やりたいこと

昨日、友人の誘いで、とある演劇を観てきた。 大正時代に婦人解放運動で歴史に名を遺した伊藤野枝が、虐殺された後に現代にタイプスリップ(?)して、「正直働きたくないけどこの社会で生きていく以上は仕方がない」と自分に言い聞かせながら就職活動を行う大学生と出会い、その自由奔放ぶりが大学生に影響を与えていくという斬新なストーリーだった。 その演劇では一貫して、「自分を押し殺してやりたくないことをやるくらいなら、苦労はするかもしれないが、自分の好きなこと・やりたいことをやるべき」だと

    • 一人で過ごす休日

      一人で過ごすのは嫌いじゃない。 というよりも、本質的に自分は一人になりたい人間なんだと思うことがある。 今この文章も、物音もない部屋の中で一人、淡々と文章を書いている。今日は平日だけど、仕事は休みで、最近ちょっと寝不足気味だったので、一日中家でゆっくり過ごしていた。 人と会うと脳が覚醒しているような感覚になる。自分の中では、過剰なまでに陽気になったり、常に笑顔になったりする。 別にこれは意図しているわけではなく、人と会っていると勝手にそうなってしまう。 家に帰るととてつ

      • 幸せな瞬間

        自分はどんな時に幸せを感じているのか。 あんまりちゃんと考えたことがなかったけど、最近気づいたのは「人と喋ってる時」が結構幸せだったりする。 ただ、じゃあ誰とどんな話をしていても幸せなのか、と言われるとそういうわけではない。当然といえば当然だが、「喋ってて楽しい相手と、喋ってて楽しいことを喋っているとき」が幸せである。 意外に思う人もいれば、そうでない人もいるかもしれないが、自分は喋るときは結構喋る。というか条件が整えば、「引くほど」喋ってしまうこともある。でも基本は社

        • 一人にならないと眠れない

          ここ最近、知り合いが住んでいるシェアハウスに友達と一緒に泊まることが時々ある。 その度に、広い和室に、友達と横に並んで眠る。 その時にもよるが、大抵の場合、あまり深い眠りにつけないことが多い。 幼い頃から、誰かがいるところで眠るのが苦手だった。その場にいる全員が寝静まらないと眠れなかったし、それは家族と一緒にいるときも例外ではなかった。 基本的に、人への警戒心が強いんだろうなと思う。別に寝ている間に何かされることを警戒している訳では無いが、同じ空間内で、自分以外の人が

          20代を振り返る(後編)

          この記事は20代を振り返る(前編)の続きになります。 暇がありましたら前編もぜひお読みください。 25歳(2018年、修士2年~会社員1年目) この年の3月に、修士課程を修了しました。名誉なことに、自分の書いた修論が評価されたのか、人間科学研究科賞に表彰されることとなり、まさに有終の美という形で学生生活を終えることができました。まあ正直、大学生活初期にあれだけ鬱屈としてたのが、こういった形で締めくくられることになろうとは夢にも思わなかったですね。本当に幸せな院生活でした。

          20代を振り返る(後編)

          20代を振り返る(前編)

          昨日、誕生日を迎え、ついに30歳となってしまいました。 「30歳」という年齢にどれだけの意味があるのか、というのは一旦横に置いておいて、もう30年も生きているという事実に驚くばかりですね。 ここ最近、過去を振り返るという機会があまりなかったので、この機会に便乗して、この10年くらいを振り返ってみたいと思います。なぜ10年かというと、30年振り返るのと量が膨大になって大変だし、そもそも最初のほうなんて記憶にもほぼ残っていないからです笑 あと、20代の10年間って、自分にとって

          20代を振り返る(前編)

          思うがままに書いてみる

          いつもnoteを書くときは何かしらテーマを決めて書くのですが、今回はあえてテーマを1つに決めず、書きながら思いついたことを文字にしてみることにします。 最近の調子 最近、気分が良いときと悪いときで差が激しいです。気分が良いときは、自分の身の回りのあらゆる人・物への感謝の気持ちが湧いてくるのですが、悪いときは、今生きていることの全てに対して嫌な気持ちが湧いてきます。それぐらい差がありますね… その大きな波の中で生きていると、これが人生かとも思いつつ、やっぱり自分の気分を安定

          思うがままに書いてみる

          恋愛に関する反省文②

          アメブロで文章を書いていた時代に、恋愛に関する反省文というタイトルの記事を投稿したことがあります。 その時から3年以上、時が経っていますが、久しぶりに恋愛について書こうと思います。 ※なお、僕のセクシャリティが暫定的には「異性愛」なので、この記事においては当然のごとく恋愛対象のことを「異性」と書いていますが、人によってそこは異なるかなと思いますので、ご了承いただけたらなと思います。 前に記事を書いた時のことを振り返ってみると、自己肯定感の低さを恋愛で埋めようとしていた節

          恋愛に関する反省文②

          吃音に関する自問自答①

          久しぶりに、吃音について考えたいと思います。 厳密に言えば、吃音について考える上で、どんな論点があるか、というのを考える機会としたいなと思います。 僕は大学院に所属していた頃、自らが吃音だから、というかなり安易な理由で吃音について研究していたのですが、蓋を空けてみれば、いろいろと問いを立てられそうで「めっちゃおもろいやんけ!」と、感動したことを覚えています笑 また、今はその時からかれこれ4年近く時間が経ち、研究の世界からはずっと離れていたものの、吃音についていろいろ考える

          吃音に関する自問自答①

          褒められないとダメな気がする

          昔から褒められることが多かった。これは自慢話のように聴こえるかもしれないが、自分にとって致命的な心の弱さを生み出すきっかけにもなったように思う。 傲慢なことかもしれないが、自分は「褒められていないとダメ」だと思いがちな節がある。 人から褒められると、嬉しいというのもあるが、どちらかといえば、「安心」という感情の方が大きい。褒められてようやく、人からの評価の最低ラインを超えたような感覚だ。 何かを成し遂げる度に、「すごい」とか「よくできた」とか言ってもらわないと不安になる

          褒められないとダメな気がする

          依存と自立

          「自立とは依存先を増やすこと」 という言葉がある。東京大学の熊谷晋一郎氏がよく口にしている言葉(https://www.univcoop.or.jp/parents/kyosai/parents_guide01.html など)で、個人的に、初めて聞いたときは衝撃的だった。 多くの人にとって、依存という言葉には、どうしてもネガティブなイメージが付き纏ってくるのではないだろうか。アルコール依存症とか、薬物依存症のように、病理的なイメージを持ったり、恋人に依存するメンヘラのよう

          依存と自立

          2020

          あけましておめでとうございます。 年が明けたということで、昨年の振り返りをしたいと思います。 昨年は、世間的には新型コロナウイルスの影響で、例年と比べると、閉塞感のある1年間だったのかなと思います。 ただ、個人的にはそれがある意味ちょうど良かったという側面もありまして、そもそもこれまでは、人との密な関わりが社会的に重視されすぎていたのではないかと思っています。「なるべく少人数で、なるべく対面を避けて」という社会常識は、社交不安傾向のある自分にとってはかなり救いとなっていま

          社交が怖い

          人と話すのが怖い。もちろん吃音だからというのもあるが、それとは別の要因で、人と話すのが怖い。 何が怖いのか。それは自分をさらけ出すことだ。 では、自分とは何か。これを言語化するのは難しいが、趣味・嗜好(何が好きで何が嫌いか)、価値観・思想(どんなことを考えているか)、何気ない振る舞い、心理状態、美的センス、常識感覚(世間とのズレ具合)等、いわゆる「自分らしさ」を構成する要素となるような部分のことである。 昔から、自分には、他人からズレていると思われることを過度に恐れている

          社交が怖い

          第1回 吃音を深める会「私の吃音歴」(8/29)レポート

          つい先日第2回の告知をしたところではありますが、今更ながら、第1回「吃音を深める会」の報告をさせていただきたいと思います。 第1回のテーマは「私の吃音歴」で、8/29(土)にzoomにて開催いたしました。参加人数は主催者含め6名でした。参加者は全員20代~30代で、1名は非吃音者でした。1名は途中退出されたため、5名の参加者から「私の吃音歴」を語っていただきました。個人の話が中心だったため、あまり詳しい内容はここでは共有いたしませんが、各参加者から語っていただいたお話の中で、

          第1回 吃音を深める会「私の吃音歴」(8/29)レポート

          第2回 吃音を深める会「家族を考える」

          お久しぶりです。前回から2か月ほど経ちましたが、次回の「吃音を深める会」について周知させていただきます!(第1回のまとめ、まだ書けていませんが…苦笑) 今回のテーマは、「家族を考える」です。 1 会の内容吃音を考える上で、家族との関係がかなり大きく関わってくる、という人も少なくないのではないでしょうか。 家族から指摘されて吃音だと気付いた、家族が吃音の改善に協力してくれている(あるいは非協力的である)、家族にも吃音者がいる、など吃音と家族が関わる部分は多岐にわたります。 で

          第2回 吃音を深める会「家族を考える」

          叫び生きろ 私は生きてる

          初めから気付かないフリで 自分自身を抑え付けて生きてきたのは 上手く生きる為なんかじゃない 春よ、夢うつつ 憎む為じゃないだろ? 誰かの為に今日も笑うの? 叫び生きろ 私は生きてる Ranunculus (楽曲:Ranunculus / DIR EN GREY(作詞:京)より) 自分を抑えて生きるのは、上手く生きる為じゃなくて、ただ「そうするしかなかった」からなのかなと思います。人との繋がりを失うのが怖くて、”それなりに”人から受け入れてもらえるように、自分が作られ

          叫び生きろ 私は生きてる