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最高のおもてなしゴハン

 家族や親せきは、たくさん食べることを強く好む。「もっと、食べなさい!」親や親戚などが好意を持って強く食を勧めることを、うちでは

【ショクハラ】と呼ぶ。(これは、うちのおふざけネタに過ぎないのであしからず(;^_^A)わたしもよくやってしまう。

ふるまった料理を、食べてもらえることって、この上なく幸せなんですよね。相手を想いながら、構想を練って、買い出しからはじまり、調理する場合は味付けとか彩なんかも、一生懸命考えて。

お皿選びから盛り付けまで、余念がない。仕上げにパセリをかけるとかけかないとか、白ごまにするか黒ゴマにするかとか。おもてなしに向けてキッチンで、せわしなかった自分も食卓に料理が並ぶと達成感とともに安心感でこころは満ちる。

ここで安心するのは、まだ早い。「いただきます」のあとが、本当の勝負。

相手の反応を何知らぬ顔で、伺いながら一緒に食す。

ここで、相手が食べてるだけではいたたまれず、無意識下でなんらかのアクションをしてくるのだが、ここが落とし穴!!!

 ここで作り手は、この料理が出来上がるまでのエピソードを語りだしてしまいたくなる。しかし、最高のおもてなしを果たすために、そこはグっとこらえて、最低限の返しと相槌程度でとどめておく。ここで一句。

話すなら、相手にしゃべらせ、おもうまま!!

 

特定の相手に、おもてなしルーティンを繰り返していると、相手のツボ、好きな料理の傾向が分かってくるようになる。
さらに、繰り返せばおもてなしレベルが爆上がりして、最後には、相手に最大級のおもてなしが出来るようになる。

 おもうに、おもてなしに終わりはない。この世に新商品がバンバン出てくるように、相手のツボと好みは、変わり続ける。こちらも常に追求し続ける必要がある。

おもてなしをするときに、つい自分はあなたを想ってこれだけしたよ!って言いたくなりがち。(言って失敗しまくった。)

言ってしまう事も間違えでは、ない。わたしは、おもてなしの場を自分で作っておいて、自分があなたへおもてなしに至るまでの想い、エピソードを語りすぎていた。(自惚れの最悪のパターンであるΣ( ̄ロ ̄lll))

そうやって、ここちわるい空気感を自分にも相手にも与えてしまったこと。

相手を想うこころも大事。だけど、おもてなしの神髄は、相手の感情を開放させてあげることに気づく。

こちらの感情を押し付けない。結果は、どうであれ、良い感情も悪い感情も出してあげる。そういう空気感にしておくのだ。

んー、分かりやすくいうなら、アルプスの少女ハイジが駆け回る高原をイメージ。あそこなら、どんな感情でも開放したくなる。広大な海にいると開放的になるように( ^)o(^ )

そう、相手も開放したくなるような広大なこころをスタンバイしておく。

相手がこころゆくまで、感情をオープンにしているのをみると、それだけで広大な大地が広がり、幸せな気持ちになるのだ。

 まずいものを、正直にまずいと言ってくれるように。イヤなものは、イヤで、好きなものは大好きで。

 感情をオープンにさせると、相手を知ることが出来るので、よりもてなしレベルがアップするから一石二鳥なのだ。

 相手が料理を「まずい」と思っても、心配ない。

「美味しい」で終わるはずが、「まずいものが出た」ってエピソードが加われば、より記憶に残る料理になって。それはそれで、思い出になり、また美味。キレイに終わるよりか、消化良好だったり。

料理は、消化不良だろうけど(笑)

 おとなになると、付き合いで自分が好きなものばかり食べているワケにはいかなくなる。本音と建前を、重んじる社会では感情も飲み込む場面も多い。だから、せめてもあなたのおもてなしの場では、あなたのありのままの感情を出してほしいと思う。

まだまだ、だけど、日々面白いことを追求していきたい。

 以上、むぎあじのおもてなし研究レポートでした。

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