第3部 Vtuber/Vライバー論:キズナアイという「存在」(8)
「分人」という考え方(3)
そしてこの「葛藤」はサルトルの言う実存主義の第2の定式、「人間は自由の刑に処せされている」とつながってくる(ちなみに第1の定式は「実存は本質に先立つ」である)。ここで「刑」という言葉が敢えて使われているのは「自由だからと言って決して自由に自分のやりたいようにできるわけではない。むしろそれはいばらの道である」というニュアンスが埋め込まれているからであろう。なぜなら人という存在は自由であるが,同時に他者という存在も自由であるからである。『実存主義とは