言葉が音符を踏み倒して行くその様よ。(『ありあまる富』椎名林檎)
もう12年も前の歌なのかということに驚く。
この曲が産まれた背景については諸々書かれているのであえて触れないし、「背景」なんて知らなくなって『ありあまる富』の具体と抽象を混ぜ込んで紡がれ編まれた言葉は聞く人それぞれの、それこそ「背景」を歌う仕組みになっている。
形あるもの無いもの実在するもの失われたもの得たもの捨てたもの、そして何より、おそらくは多くの「誰にも言えない」「誰にもみせない」宝物を抱え込んでいる人間に響く。恐ろしいほどの強度を持って響く。
間違っていたらごめんなさいだけれど、所謂、「詞先」で作られた楽曲だとは思う。言葉が、装飾も化粧もされていない言葉が、剥き出しに並べられて、音を音符を薙ぎ倒し踏み倒していくのがわかる。言葉が余る。音が余る。
そんな不具合みたいなものを正そうとする者に一瞥もくれず、椎名林檎はただ言葉を正確に、聴くものに届けようとしているんだろう。
愛とか恋とか幸せとか楽しさとか。
そういう耳障りが良くて、どこか鼻につく、その癖、誰よりもそれを欲しがっている、でも届かない、此岸と彼岸に縮めようもない距離がある、ああ、と溜息を秒針が進む数だけ小さく吐き続け、そんな現実に途方にくれて、
愛とか恋とか幸せとか楽しさとかよりも、
死ぬまで大切に誰にも侵されないよう奪われないように「何か」を後生大事に胸に掻き抱いて生きている、血を流しながら守り続けている、そうだ、「古城の番人」みたいな人生を送る人間にとっての、最も優しいアンセム。
みたいなものだろうって。
「あの歌が聴こえてきたぞ。ドアを開けろ」
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