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プレイバック・シアターの人間観って?(研究生日誌 島本たか子)【Lプロ8期第6回】
プレイバック・シアター実践リーダー養成講座で本格的にプレイバックを学び始めて半年の私が、最近疑問に思っていることを少し書いてみる。
プレイバック・シアターの創始者、ジョナサン・フォックスとジョー・サラの著書※によると、1970年代に、公民権運動やベトナム反戦運動が盛んなアメリカで、ネパールの口承文化、イギリスの表現教育(creative dramatics)、実験演劇(Experimental theatre)、モレノのサイコドラマ、パウロ・フレイレの思想などの影響を受けながら、プレイバック・シアターは誕生したという。それから約50年経ち、現在は世界約70ヵ国で実践されているプレイバック・シアターは、どのような人間観を内包しているのだろうか?
プレイバック・シアターはリチュアル(形式・儀式)と呼ばれているある決まった形式を持っている。例えば、アクターは基本的に3人で、舞台に向かって左手にコンダクターとテラーが座り、右手にミュージシャンが座る。テラー自身がアクターになることはない。などがリチュアルで決まっている。プレイバック・シアターの進行は他にも様々な決まり事があって、その手順に則って行われている。
このリチュアル(形式・儀式)が作られていった背景には、どのような紆余曲折があり、どのような人間観があるのだろう?
プレイバック・シアターは”自己”というものをどう捉えているのだろうか?
それはどうやったら知り得るのだろうか?
リチュアルという型があることは、多様な国の多様な文化、多様な価値観や人間観を受け入れる器として作用しているのかもしれない。別の言い方をすれば、同じ型を使っていても、実践者の哲学によって生み出される場はかなり違ったものになるということだ。アメリカで生まれたプレイバック・シアターを、東洋的なものの見方に親しみを感じる私にも面白いと思えるのは、そのためだろうか?
ところで、先日のLプロで、私はテラー(語り手)として語る機会をいただいた。コンダクターの羽地さんとやりとりしながら、その時にふと思い出したエピソードを語った。
語っている最中に、別の記憶がふと浮かんでくる。浮かんだものをそのまま口に出すると、また別の記憶がふと浮かんでくる。出来事だけでなく、その頃によく空想していたイメージも思い出す。それらの記憶の断片は、高校時代、大学時代、大学院を卒業した後と、突然時間をジャンプしていった。
コンダクターの羽地さんは、私の語りが急にジャンプしても柔軟についてきてくれる。私が”暴走”しても羽地さんは困ったりしない。そしてちゃんと最後は劇の形にしてくれる。
語りながら縦横無尽に時空を飛ぶ感じが、すごく自由で楽しかった。そうやって語られたストーリーは、脈絡がないようでいてちゃんとつながりあっていた。それを3人のアクターたちが即興で劇にしてくれた。
羽地さんは、テラーをコントロールしない。ストーリーをコンダクターの前提や解釈で回収してしまわないように細心の注意を払い、予想外のことが起きることに対してオープンで安心している。いや、予想外のことが起きることを楽しんでいる。それから、アクターに対してもどう演じるかコントロールせず、信頼している。そういう羽地さんの姿勢、あり方が、私が享受した開放性と楽しさを担保している。
この開放性は、羽地さんという一人の人が培ってきたプレイバック・シアター観や人間観からくるのだろうか?
それとも、プレイバック・シアターが本来持っている指向性であり価値観なのだろうか?
※"Personal Stories in Public Spaces: Essays on Playback Theatre by Its Founders"(Fox, Jonathan ; Salas, Jo. 2021)