運ばれるままに(研究生の徒然日記 たか)
今までは、なかなか自分のやる気が安定しないことが、なにか良くないことのように思ってた。だけどそんなふうに捉えなくていいんだな。
やる気は、自分のものじゃないのだから。
コントロールしたり、管理したり、維持したりできるものじゃないから。
安心して「やる気」に任せたらいい。
運ばれるままに、運ばれたらいい。
停滞したら、停滞したまま漂えばいい。
だって自分のものじゃないのだから。
やっぱり今日嬉しかったんだと思う。何の見通しも立たないまま、安心していいんだって思えて。肩の力が少し抜けた。「やる気」と呼んでいる存在に、心強く思った。わたしは一人じゃないって。
20数年前に教えてもらったことが、今日は実感としてわかるなぁと思った。
だけど昼間のあの実感を、夜にこうして思い出して書こうとすると、それはそれでちょっと難しい。その瞬間にしか書けない言葉があるんだな。
それでも、書いておこうと思った。
由梨さんに、書いて出す、書いて出す、を繰り返すことは大事なことだと思うと言われて、やってみようと思ってやってる。後になってどう自分が感じるかはわからないけど。
でも、なんていうか、自分の中で起きていることを書いて、それを公開していくにつれて、なんかこう自分の中の風の通りが良くなって、なんかこう、巡りが良くなった気がする。ずっと自分の体の中でぐるぐると行き場を失っていたものに、出口ができた感じ。
「表現」というと、「いやそんなわたし別に『表現』したいとかあんまりないですよ」と思ってたけど、違うのかも。「表現」というのは、ご飯食べて、トイレ行って、お風呂入って、寝て、とほとんど同じレベルの、生活に欠かせないものなのかも。
それから、もう公開しちゃったし、もうえっかみたいな、自分のちっぽけで強固な自意識が、なんかちょっとどうでもよくなる感じがあって、それはそれで悪くない。なんかちょっと自由になった感じというか、気が楽になる感じというか。隠す前にもうバレちゃってるしな、みたいな。そういうの、大事なんだろうな、ファシリテーターとして立つときに。