おかあさんとわたしと
わたしのうちは、幸せな家庭である。
仲のいい両親に素直で面白い弟、同じ敷地内に暮らす父方の祖父母。
父は自営業で、母は保育士。経済的にも、わたしと弟2人を大学に行くための塾に通わせてもらえているから恵まれていると思う。
どこも欠けてない、ふつうのしあわせな家庭。
友達にも驚かれるくらい仲が良い。
サンタさんだって、毎年来てくれていたし、豆まきも、鬼がちゃんと現れる、そんな平和な家庭。
なのにどうして私は今心を病んでいるのだろうか。
もちろん原因はたくさんある。家庭が全てではない。
今から書くことに関しては100%わたしの甘ったれた考え、思いである。わたしが悪いのだ。
ただ、それを承知でそんな弱いわたしが小さかったころに溜め込んだ、小さな心のしこりをここで吐露させてほしい。完璧な母親、もとい父親なんていない。きっとどの家庭の子供にもあるような、ちいさなちいさな傷。
それを文字に起こすことで、もう一度自分を見つめ直したい。
今でこそ別の家(同じ敷地内ではあるが)で暮らしているが、わたしが中学生のころまでは父の実家で父方の祖父母と共に暮らしていた。
よくある話なのだが、母と祖母との関係はあまり良いものではなかった。というか、一方的に母が祖母に苦手意識を持っていた。当時の父は地域づきあいなのかはよくわからないが、飲み会などで夜あまり家にいるイメージがなく、家事育児もほぼほぼしていなかったと、後から聞いた。
そんななか慣れない夫の実家で2人の子供を育てながら6人分の食事洗濯を1人でこなす母は本当に大変だったと思う。だからこそなのかもしれない。
祖母からお菓子をもらうと母がひどく不機嫌になったこと。ともだちを家に招いて遊んでいるとき、怒った様子であったこと。友達と遊ぶことを断ると、母が少し嬉しそうな顔をしていたこと。機嫌が悪いとドアを乱暴に閉めること。寝るとき母の背中に抱きついたら、振り払ったこと。横で寝ているわたしの寝つきが悪く、もぞもぞしていたら怒らせてしまったこと。祖父母やお客さんにあったとき、帰り道であの言葉は、この振る舞いはよくなかったとたくさんいわせてしまったこと。そして、父の愚痴を言い、父と離婚したいと目の前で泣いていたこと。一緒に泣いたよね。いきちゃんが味方でいてくれるからお母さんも生きていけるんだよと言われたこと。母が不機嫌そうな時、全く似てない似顔絵と、「まま大すき」と書いた紙を渡して、笑顔になったらほっとしたこと。
6人で暮らしているとき、母にとにかくご機嫌でいてほしいと、顔色を伺うときがよくあった。
もういらない子といつ言われるか怖くて怖くて仕方がなかった。児童クラブの迎えが10分遅れただけで、わたしは捨てられたと思い込んで泣いて泣いて泣いていた。
あんなに大切に育てられたのに、どうしてあんなに不安だったんだろう?
そんな小学生時代を過ごし、父はマイホームを持ち、4人暮らしになった。
4人暮らしになってから、わたしと弟それぞれに部屋ができた。誰にも侵されない、1人になれる自分のテリトリーができたのは、正直ほっとした。
母もとても生き生きしてみえた。父も私も一緒に家事を手伝うようになり、理想的な家族生活がスタートした。わたしもたのしかった。
ただすこしだけ、ちいさなストレスがあった。
母がわたしの部屋へ入ってきて、割と長時間居座るのだ。自分のADHDの特性のせいか、わたしは自分のテリトリーが侵されるのがどうしようもなく嫌だった。
高校生になっても、母とわたしはベッドで一緒に眠る日があった。まるで小学生の娘と遊ぶようにわたしをこちょばし、じゃれた。わたしが20歳になった今もそれは変わらない。
「ごはんを食べてありがとうって言ってくれるの、いきちゃんだけだよ、嬉しいなぁ」
「洗濯物の手伝いもしてくれるの!??いきちゃんくらいだよそんなことしてくれるの、ありがとう!」
嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
しんどい時も笑ってほしくて変な動きをしたり、おちゃらけた会話をした。
でもいつしかそれが義務のように感じてきて、家族といるのに息が苦しくなっていった。完全な自爆である。
中学時代の帰り道、友達と話し込んで帰りが少し遅くなってしまった。雨が降っていた。
1人の帰り道、雨は次第に強くなって日も沈んだ。山道をえっちらおっちら進んでいたら父が軽トラックで迎えに来てくれて、乗って帰った。家で待ってる母はきっと、この雨の中よく頑張って帰ってきたねって、暖かい乾いたタオルを用意してそう言ってくれると思い心が弾んだ。うきうきでドアを開けた瞬間、平手が飛んできて、一瞬何が起こったのかわからなかった。母の方を向いていたはずの景色が一瞬で玄関の床に変わったのを覚えている。理解が追いつかないまま熱くなる頬。しばらく玄関で飛んでくる平手から顔を守っていた。母は怒っていた。そこでようやく私は母にひどい心配をかけてしまっていたことを理解した。母に心配をかけると、母を悲しませると、酷いことになるんだと思った。
きっと母は私のことが大切で心配でたまらないのだ。真面目な相談なんてできなかった。きっと心配をかけすぎてしまうから。子供がだいすきで、娘のためならきっとなんでもしてしまう母だから。自惚れかな?おかあさんに悲しい思いをしてほしくない、わたしはその思いが強すぎたのもしれない。
鬱になった今もしょっちゅう様子を見にきてくれる。大丈夫だよと返すけど、その度嬉しいような情けないような、煩わしいようなよくわからない感情が溢れ出してどうしようもなく自分が醜く、身勝手に思え嫌になる。
おかあさんが居ないと、私は生きていけない。きっとおかあさんも、私が居ないと生きていけない。そう期待しているだけかもしれないけど。
自立しないといけないぞと、頭の中の私が言う。
でも私はいまだにおかあさんの腕の中でないと安心して眠れない。20歳にもなってまだ母が世界の全てなのである。
あのね、大好きなおかあさん、私が死ぬまでずっと生きていてね。やくそくだよ。
さいごに、おかあさん、こんな毒娘に育ってしまってごめんね。見捨てないでくれてありがとう。