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緩急 / 普通が一番 / 11年前

連勤が終わって、少しばかりの連休に突入。

でも、あのコロナ渦の20連休に比べれば、何のそのと思う。

ただ、やり遂げた高揚感が残る。あれもこれも頭が痛いことばかりだったけれど、一生懸命やっていると、思わぬところからヘルプが来る。分かって貰えるという安堵感。

とは言うものの、疲れた~。

***

「昨日、研修やったんですってね?見たかったです。凄く面白かったって聞きました。」と、非常に嬉しいことを言って貰っているというのに、「は!」と思い出した私が言うのは、「そうそう。前の会議のとき、大勢の前で共有画面が固まって動かなくなったのがトラウマになっててね。それが昨日はうまく行ったの。」ということ。

もう、これ、近くに居る人たちにとっては、昨日から何回も聞かされているわけで、「ですから。そんなところを褒められているわけじゃないでしょ。」と言いたくもなる。

そんなこと言われても、この気持ち。思わず口をパクパクさせて、”どう言って良いのやら・・・”と思っていた私に、Kちゃんが横から割って入り『普通に出来て良かったね!』。

そうっ!それ!

普通のことが出来ないんだよ、私は。

それが一番欲しい言葉だった。

普通に出来て良かった。

さあ、普通に休もう。

***

11年前のこの夜、私は訪問入浴の仕事で夜道を走っていた。

昼間にやって来た大地震。街中の水道もガスも電気も、電車も止まった。道路は大混雑。

それでも、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんが、週に一回のお風呂を楽しみに待っていた。

人工呼吸器に繋がれて、気管切開された首の穴から微かに微かに、途切れ途切れの声を出し、「何があってもお風呂に入りたい」というご希望があったから。

その方々にとっては、毎日がギリギリで、いつ命が途絶えてもおかしくない状態だったから。

「だから、お風呂に入りたい。毎日が震災。」とその人は言った。今でも覚えている。壁にはプロゴルファーの石川遼さんのカレンダーが貼られていた。

エレベーターが止まってしまったそのマンションの8階の部屋まで、訪問入浴のチームで、重たい遠赤の浴槽やポンプなどの機材を抱え、彼女の部屋まで登ったのだった。よいしょ、よいしょ、と声を出して登って行ったのだ。

そうして無事にお風呂を楽しんで貰った。

あの日、あの時の方々は、それからいくつかの季節を楽しみ、家族と語らい、震災ではない日に次々と穏やかにご逝去された。

普通でない時にも普通にお風呂に入って貰う。

あれも楽しい仕事だった。

もっとも、その後、多くのスタッフが寝込んでいたけれど。(笑)

もしもまた大変なことが起こったらどうしたら良いのか?と、思うけれど。

そんなこと考える間もなく、多分また、色んな階段を登るのだろう。あの日のように。

今は訪問系の仕事ではないけれど、どうにかして湯を沸かし、何とかして食事やお風呂や治療を提供するのだろう。多分、最後の日まで。

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