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歌さん
「祝福」 谷郁雄
百年前
あなたはいなかった
百年後
あなたはもういない
木が葉っぱを
茂らせたり
散らせたり
するのと同じように
あなたは
嘘をついたり
恋をしたり
いろいろと忙しい
幸せとは
ただそこにいること
よろこびで
顔をしわくちゃにして
今日は、仕事中に泣いてしまった。
自分で自分の血を作れなくなった白い老婦人の傍らで。
毎日輸血をするわけにもいかない。はたまた骨髄移植が出来る若さでもない。そんな苦痛は、もう微塵も要らない。100歳近くまで毎日せっせと血を作り、たゆみなく息をして来たのだから。来る日も来る日も。何があっても。
今は昏々と眠るだけ。まったく苦しそうじゃない。
この女性は、私の祖母に似ている。その姿も、名前までもが似ている。
この方は歌さん(仮名)という名で、私の祖母は歌子(仮名)だった。
『うたさん、うたさん。』と呼ぶ歳月の中で、いつの間にか、すっかり祖母を投影しちゃっているなあ、まずいなあ・・・と気が付いてはいたが、頭のどこかに仕事モードをかろうじて残していた。
しかし、今日、旦那様が、現れて、ipodを持参して来られた。歌さんがお元気だった頃、カラオケ大会で何度も優勝したという彼女の歌の数々が収められていた。
それは小さなスピーカー付きのipodだった。
『孫が使っていたやつなんだけど、ここに沢山録音してくれたんだ。』
その音源から流れる声には、正直驚いた。うまい。いや、うまいなんて表現の仕方では間に合わない。心が震えた。
そして、越路吹雪さんの歌に差し掛かった時に、涙がとめどなく溢れた。
まるで目の前で昏々と眠る彼女が、お父さんにその歌を聴かせているかのようで。(お父さんが自分でスイッチを入れて再生させたんだけどね。)
あなたの燃える手で あたしを抱きしめて
ただふたりだけで 生きていたいの
ただいのちのかぎり あたしは愛したい
いのちのかぎりに あなたを愛したい
頬と頬よせて 燃えるくちづけを
かわす喜び かわす喜び
あなたとふたりで 暮らせるものなら
なんにもいらない
なんにもいらない
あなたとふたりで 生きていくのよ
あたしの願いは ただそれだけよ
あなたとふたり・・・・・・・
何か言いたいのだけど、鼻がつーん!として、喉元がグっ!と詰まって何も言葉がかけられない。号泣してしまいそうで。
マスクと頬の間を、暖かい涙が伝って、今や、首から胸へと流れて行く。それでも、黙することで隠していた。
けれども、お父さんが、私の方を見て『結婚して60年だよ。60年はダイアモンド婚って言うんだってよ。』と言うその顔が、クシャっ!とした。
優しい笑顔で、目を真っ赤にしつつも、『孫が言ってたんだよ。ダイアモンド婚だってさ。』と言うので、とうとう、こらえきれずに泣いた。
けれども、同時に、とっても幸せなことだと、賞賛したのだ。
歌さん、ゴールは、もう少しだよ。頑張って。
でも、歌さん、もしも気が向いたら、もう一度、目を開けて、このウタカタで私たちと遊んで行って。
でも、歌さん、疲れたならば、気を使わないで、そのまま目を閉じていて。
そう言いつつも、やっぱり思う。歌さん、明日もやっぱり会いたいや。
我儘だね、私たちは。
こんなに沢山の思い出を貰ったというのに。
白い手が、白い瞼が、かすかに動いていた。