それぞれのビートルズが聴ける本
私には感情の抑え癖がある。
多くを感じ取るくせに、その何倍もの力で抑えつけるものだから、胎児の頃から始まって、高校生くらいになる頃にはダムが決壊して暴れん坊になっていた。もはや、やんちゃという言葉では片付けられないレベルで”狂暴”と呼ばれていた。
それがいちおう社会に適応している(ように見える)ようになれたのは歳を重ねたり子育てをしたり、心理学で感情について骨身で学んだりしたせいだと思う。今やプライベートでは感情を開放し過ぎの変な大人になるに至ってる。
それでもまだ一発目に感じたことを表現するにあたって「まだ早い。失礼だからやめなさい。」と言う自分がいる。
でも、小説や漫画、映像、この世にある全てのアートは誰もが多かれ少なかれ、その作品に自分自身の体験や自分自身そのものを投影させることで心が動くもの。勝手に投影する自由があっても良いのだろう。
と、思えたのは、”あとがき”を読んでから。ほんの少し自分の中の謎が解けたような気がしたからだ。
スルスルと読めてしまうので、心の中で何が起こっているのか分からないまま読んでしまう本に出会うことがある。終わってしまってから「あれ?何だったの?」と立ち止まり振り返ってしまうような本。人間同士の出会いにも似ている。だから、一気読み出来るというのに、また何度でも読んでしまう。何度でも会ってしまう。
でも、(私にとっては)それに出会えるのは、50数年でも覚えていられるほど稀で、隆慶一郎さんの全作品(特に捨て童子)と中島らもさんのガダラの豚。上記も全然ジャンルが違うけれど(・・・・いいや、こうやって活字にして並べてみたのは初めてなので、たった今気が付いたのだけど、共通するものを見つけてしまった。でも、それを書くと長いのでやめよう。)今回も全く違う。
でも、1番ビックリしたのは、そんなことではなくて、長編ではないのに、瞬く間に何か大事に仕舞ってあったモノに辿りついてぶち当たったから。それが何なのか?が分からなかった。歳月が経つと心の倉庫も広くなる。
だからまた読んでしまう。
でも、あとがきを読んで執筆中にビートルズを聴いていらしたというのを読んで「これだ。」と思った。
高校時代はいつもビートルズがかかっていた。正確に言うと母がかけているLPを耳にして、いつの間にか気に入ってしまい自分からかけるようになってしまった。
母はその人生で5回も結婚するほど奔放な人で、娘の私は非常に迷惑していて仲が悪かったのだが、唯一の共通項がビートルズだった。
ビートルズが来日した1966年6月29日、18歳で家出娘の母は、羽田空港で働いていてそれを目撃したと言う。その翌年に私が生まれた。母は何度もそれを私に聞かせ「すごかった、すごかった。」と言っていた。覚えていないけど、多分、赤ん坊の頃から聞かされていたのだろう。母はモテるけれど孤独な人だったから。私はその話をしている時の母だけは愛しいと思えた。
母は奔放だったが私は面白くなことばかりが続き、ある日、体育の授業で真面目にバスケットプレーをしているクラスメイトたちを眺めていた。ビートルズが流れるイヤフォンをつけて。
何故に参加しなかったのか?と言うと、馬鹿らしいと思っていたから。スポーツもバスケも好きだったのだけど、下手同士でやるとぶつかり合って美しくない。
そんな中、美しい映像を見た。当時の親友が、大勢の頭から上半身一つ飛び抜けて、見事なシュートを決めた瞬間だった。ハッとした。その時耳の中に流れ込んでいた曲は「アクロス・ザ・ユニバース」。
その後もその子の無心で懸命なプレーは続き、時に群衆に突き飛ばされゴロゴロ!ドン!と転がって、また立ち上がりシュートを決める。
それまで、私のご機嫌ばかりとっているその子を美しくないと馬鹿にしていて態度にまで出していた。口も悪かった。でも、その子はいつも私の良いところばかりを熱弁して褒めてくれていた。それが媚びているようで余計にイライラしていた。
でも、その日のあの子には翼が生えていた。いや、正確に言うとそれまでの私に翼が見えていなかった。
仲間の暴力的に下手くそなプレーに殴られ、ひっかかれ、罵られ、そんな中、重力を無視して自由にシュートを決めていた。そんな美しい映像を、こんな素敵なBGMで見せつけられたものだから抗えない。恋をしてしまったんだと思って絶望した。
それからも、長い高校生活、いつもプリプリ怒ってばかりだったけれど、今ならもっと優しく出来たのに。今ならあの子に、どんなに素晴らしいプレーだったか?どんなに素敵な翼を持っているのかということを表現できたのに。醜いのは私の心だった。世界一不幸だと思い込んでいて、いつも自分のことばかりで、美しい翼に気づけない私の曇った目だった。
じゃあ、今言えば良いじゃない。
ううん。それは無理。
何故なら、あの日、あの体育館、1985年の彼女も、私も、あの時代の母も、もうどこにも居ないから。
残念で、せつない。でも、嬉しく、美しく、愛おしい。
通常、小説からは、音は聞こえない。歌も聴こえない。知る限りでは、そうだった。
でも、読んでいるうちに音楽を聴いている、それに纏わる時代へと旅が出来る本って凄い。
読む度に角度が変わるかも知れないけれど、いい加減本を閉じて、他の作品も読んでみたい。