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私の看護実践終了は突然やってきた
大変なこともたくさんあったけど、
いい看護師人生だった。
修行は終わった。
もうやりきった。
もういいよと聞こえる。
充実感。
魂が言っている。
このさきは、
楽しんでいいよ。
私は、
今このとき、
高齢者のトイレ介助をしていました。
自分でできるはずなのに、
やってもみないのです。
援助する人を、
召使のようにあつかい、
やりきれない思いでいたことを覚えています。
認知機能の低下、
前頭葉が侵されると、
社会性が失われ、
人間が本来持っているものが、
失われます。
病気がそうさせている、
そう思い悲しくなりました。
いつもは、
病気がそうさせているとふるまえ、
できることは自分でしようと言えるのですが、
なんだか悲しくなりました。
そんなとき、
もうやめていいと聞こえてきました。
トイレの中だったので、
そしてお手伝い中だったので、
なんだか不思議でした。
この時のことををすっかり忘れていて、
手帳を整理しているときに思い出しました。
そういえば、
24歳の頃かな、
お金の事情で、
ギリギリまで個室にいれないでください。
家族が話していました。
人生の最後もこのような感じなんだなと。
その頃は、
看護師になり数年でしたが、
今一緒懸命働いて、
苦労をしても、
自分が年をとったときに、
楽になることを決めました。
年をとったときの年齢を決めてなかったのが、
いつなのか?
今と感じています。
今、
なにを頑張っているのだろう。
私は、
今までの経験を伝えていこうと決めました。
実は野菜を作ったり、
料理やお菓子を作ったりしていました。
楽しかったのですが、
きっと何かが違ったのでしょうね。
私にしかできないこと、
これと違っていたのでしょう。
看護学生の先生をしながら、
病院の指導者とも仲良くしています。
看護学校での仕事は大変でしょう?
と言われますが、
みんなの悩みは、
自分が通った道でもあるので、
時代は違えども共通しています。
私は私らしく、
人生の幕を閉じれたら、
幸せです。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。
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