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おじさんはなぜ、相手を「低く」見積もるのか

僕は、居酒屋やバーで、いろんな人と交流するのが好きなんです。
昨年も、初めて訪れた某居酒屋で常連のおじさんと楽しく話し込んでいました。僕より10以上歳が離れている方で、定年間際。名のある企業に勤めているということで、話の中にたびたび社名が出てきました。

でね、そのおじさんが帰り際に言ったんです。

「いやぁ楽しかった。あなたがそんなにモノを知っているとは思わなかったよ」
ってね。

これを言われた時は内心ビックリしましたよ。初対面で僕はそんなに馬鹿にされてたの?って。
こんなことを言われたのはさすがに初めての経験でしたが、よくよく振り返ってみると「似たような感じ」を経験したことが、何度もありました。

なんていうんでしょうね。
おじさんの中で勝手に線引きされていて、目の前にいる相手をカテゴライズしちゃっている感じ。そこからどれだけ会話しても、うっすらとしか関係値が上がらないような感覚。

要するに「決めつけられちゃってる感じ」。

名刺と肩書きで、他人を分類する人たち

世の中の多くの人は仕事相手の「肩書き」を重視しますよね。受け取った名刺を見て態度を変えたりします。

何年か前に、とある交流会で知り合った友人がいます。
その時、周りにいた人たちが、その友人に対して特別に手厚く接していたことに違和感を覚えたんです。しかし、その理由はすぐに判明しました。
彼にもらった名刺を見直すと、肩書きが「社長」だったんですよ。
みんながよく知る会社の社長さん。
「ああ、なるほどね」という感じです。

名刺交換した場合には、ごく当たり前の反応と言えるでしょう。
では、名刺の肩書きが大したことなかったら、その人を軽く見ていいのでしょうか? 違いますよね。それは全然話が違う。

会社での肩書きは、別にその人の「人品」を示す物じゃありません。
無能だったりゲスだったりするのに出世する人は、世の中に珍しくありません。
有能であったり、心優しかったりする人が出世しないことも珍しくありません。
要するに会社での肩書きなんてのは、その人の価値を示す一要素に過ぎません。

でもまぁ、相手が平社員だったり、新入社員だったりすると、軽く見てかかる人ってのは一定数いるわけです。
タチが悪いおじさんは、女性社員だというだけで、侮ることがあります。

でもねぇ、居酒屋で初めて会った、10歳ぐらいしか違わないおっさんを頭から侮ってかかるっていうのは、そういう仕事上の力関係とも違いますよね

ただ推測するに ↓
 自分は大企業出身 → 大きな仕事をしてきた → 知り合いは有能な人ばかりだった→ そこら辺にいるのは「有能な知り合いとは違う人」→  私たちとは違う → 私たちは優秀だった

っていう思考っていうかプライドがこびり付いて思考停止してるんじゃないかな。

人間関係における「思考停止」

もう1人、極端な事例がありました。
3、4年前に新宿で、若い男の子を連れて飲んでいた時のこと。

たまたま入ったバーで、先に飲んでいた若い男女4人と仲良くなって盛り上がってたんです。聞くと、4人は元ギャル2名の親友コンビと、男女2名の友人ペアの混成でした。この店でついさっき会ったばかりだ、と。でも、昔からの友人のように盛り上がってる。健全にね。

楽しいですよね、そういうノリ。

で、そうこうするうちに、お店に新しいお客さん。見ると、仕立てのいいスリーピースを着た、お金を持っていそうなおじさん。ツイードのジャケットが体にぴったりとマッチしていて、良い感じでした。

その方も交えて盛り上がっていたんですけどね、どういう流れだったか、そのおじさんが元ギャル2人を軽んじる発言をするんです。すごく不愉快だったんですよ、その感じが。

で、極めつけの一言がこんな感じ。

「あなたも分かると思うけど、やっぱり『女が仕事できるなんて思えない』んだよ」

「あなたも…」って付け加えることで僕のことも巻き込もうとしたので、「そんな風には思ったことないよ」って返しておきましたけどね。

この発言をしたおじさんは、有名な金融機関の海外拠点で働いていたようで、それはそれは立派なキャリアだったと思うんですが、“人“ としての中身は全然アップデートされていなかった……。少なくとも、僕にはそう感じられました。

実際のところ、「玉の輿目当て」で金融機関に就職して20代半ばで「寿退社」というケースがとても多かったのも事実なんですけどね。
それは社会の仕組みの問題つまり→『女性の寿退社=専業主婦化=家事・育児を単独で担う』っていうことが、社会通念になっていたからなんですけどね。

でも、「専業主婦になる」っていうことと、「女性に仕事はできない」っていうことは別の問題。昭和だろうと大正だろうと鎌倉時代であろうと、いつだって「有能な女性」は存在していたわけです。

少し、女性蔑視の話に比重がブレちゃいましたけど、ここに書いているのは性別に関係ありません。
問題は、「肩書などの表層的な価値」ではなく、「その人が持っている魅力・能力」を、きちんと見定められる心を持っているかどうかだと思うんです。

でも現実は、そんな理想通りにはいかないわけで。

オープンなマインドで人と接するのが「吉」

まぁ、例に挙げた2名の話は極端な事例ですが、他人に対してタカをくくってかかる人っていうのは少なくありません。
Xにも、そんな人が沢山います。上から目線で訳の分からないコメントを書き込んでくる人。書いてもいないことを言い募り、意味不明な結論を押し付けてくる人。コメ主の心情を全無視して、心無い言葉を投げかけてくる人。
とにかくギスギスした世界が広がっているように見えます。

もっとも、Xの中の世界って、現実世界に比べたら、とてもとても狭い世界です。

日本国中、いろんな場所のいろんなお店で飲んで食べて、その場にいる初対面の方と会話して盛り上がって。そんな楽しい夜を数えきれないほど過ごしてきました。

断言します。現実には、とても良い人ばかりです。

それでも、前述した「目の前にいる相手をカテゴライズしちゃっている感じ」を受けることは結構あります。

そこに悪意はないんですよ。でも、これまでの人生経験で、何かが止まっちゃっているのかな、と感じることは多いです。

だからいつも思うんです。
自分に向けて問うんです。

「自分はオープンマインドで人と接することが出来ているか」と。

そうでなければ、楽しい時間は増えませんからね。
自分を大切にしたいなら、目の前にいる人も大切にしないと。
(その人が、他の人に迷惑をかけていない限りは……ね)

単純にそう思うんですよ。
自分が成長するためにも、目の前にいる人から、より多くのことを学びたいですしね。

もっとワクワクする日々を過ごしたい。
もっとみんなが、優しく理解し合える世界でありたい。
それが僕の願いでもあります。

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50歳に至って、ようやく見えてきたモノゴトなど、肩の力を抜いて書いております。10記事まとめて、マガジンにまとめております(Vol.2は現在進行形です)。

今まで書く機会がなかった、いい話、すごい話、ダメな話から、仕事と人生のアレコレを書かせていただきます。

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