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少しだけ時代が変わっていく 造り手側から売り手へ 変革の2025年から
#熟成下書き
かなりの期間、何故か下書きに放置されていたこの記事を、新年のどさくさで、公開しようと思ったわけです。
#変革の2025 #生産者より供給者 #生活者 #商品以外の価格
=本文=
⚪️最近感じたこと
以前は、誰が造ったかということが今よりも重く評価されていた気がするわけです。
エンジニアリングファーストと言うか。
例えば、あの、とても小さな携帯プレーヤー は各社から出ていただけれど、やはり元祖のあの会社の製品は他社のそれとは違う。
消費者に選べれやすい?
なぜ?
と言われると困るような、つまり所有した満足感 つまり #ブランド力 なのか 買うならあれ、という感じだったわけです。
自動車だと、個別の車種選択のまえに、俺は ・・・党 だとか メーカに好き嫌いを持って選んでいて、例えばドイツのあのめーかーでも、俺はなぜかMよりもBみたいな感じがあったわけです。
ちなみに、私も以前は 断然 MよりB だったのですが、
今は Mそれも 大衆向け(といっても高価ですが) が大好きです。
以前は、作り手の考えや、姿勢に共感するみたいな。
いわば、今よりも現実よりの プラス何とか を重視したのかもしれません。
工業製品でなくても、そうだった
ケチャップならHに限るとか
極端に言えば、牡蠣ならA ブリならH とかです
それが、だんだんいろんなものが見えてきて #OEM 当たり前と消費者も理解している今の時代は、誰が造ったよりも、もはや、誰が売っているの方に評価の中心が移った気がするわけです。
もっと強烈な場合は、値段だけが唯一無二の動機づけになる方々も居るようですが、これは、意外にマジョリティにはならない気もちております。
より何処で買うかが選択肢になる
誰が作ったものが売れているかという事ではなく
誰が売ったものが買われているかによるのだと考えると、
ある意味、消費者の選択としては、その方とてもシンプルなことに感じます。
買う側にしたら、本音、その商品が何処で造られようと
誰によって造られようと、製品となれば、今やあまり意味を持たず
誰が売っているのかという部分さえ外さなければ、間違いは減らせる??
そんな現実が今はある気がします。
それは、意識、無意識は別として、買うという行為の自己責任比率を、売り手を選ぶことにより軽減させる。つまり、安心への担保をそこに委ねるのかと思うのです。
もちろん、理屈では #フェアトレード によって生産されたものを、適正な価格を支払い、手にすることは大切だ。けれど、それを消費者一人ひとりが検証することはとても困難であり、検証にかわるものは、消費者が持つイ情報とイメージに他ならず、その選択を司るのが、製造者のブランドではなく、今や販売者のブランドになっている気がしてきます。
それに、今は以前と違い、メーカーは、自社でその製品が製造から販売まで管理完結されるケースは事実上変化していて、むしろ、生活者の利便性を考えたら、複数社の製品を比較して購入できる事は、メリットと考える。
その際に、信頼できる売り手を選ぶという感覚が必然と生まれてくるのでは無いかと考える次第です。
だって、あの工業製品なんて、一つの工場所で複数ブランドが生産されていて、それがもはや
でも、不思議なのは、同じものに近いのに、メーカー名 造り分けしています。これは、少し無駄じゃないの? とも考えます。
以前からあった、売り手の信頼を売れる業種はあった
突然の小見出しですが、これが所謂 #百貨店 です。
自分の売る商品に対する絶対の信頼を与え、店舗販売、外商を含め、扱う商品は際限なく広がり、それこそ、顧客にニースがあれば対応する凄さ。
さる海外の百貨店では、買えないものはない と言われ、かなり昔の記憶ですが⚪️⚪️⚪️⚪️では、像も買えると 言われていたのを思い出します。
百貨店こそ、必要とされる時代(ただし脱皮は不可避)
百貨店が元気が無いのは何故でしょうか? それは百貨店側の問題??
私はそうは思いません。 生活者の多くが、商品以外にお金を払わなくなった事です。もちろん、百貨店でも勿論、基本は商品代金以外は取られません。しかしながら、百貨店は、自社の売る商品が自社製でなくても、商品に責任を持ち、適正に管理し、そして正しいプロセスを踏んで、消費者に商品が渡るという原則があり、これにかかるコストは大変なものだと感じます。一方で、その絶対的なブランド力は確実な顧客を持ち、地域経済に寄与する集客力を実現してきたわけです。なので、ここで売って欲しい、売りたいという考えるメーカーが出るのは必然でした。
とはいえ、百貨店は、本当に仕組みビジネスなので、何分、固定費が凄いわけで。安心安全、気持ちよく買い物をする事ができる反面、行くまでの交通費、手軽さ、利便性、というものとの天秤では違う結論も出がちです。
これは、ある意味で、今回のテーマからは少し逸れますので、あらためて。
ただ言えることは、アップスケールなマーケットと、それ以外はもはや別次元のマーケットなので、百貨店が成功したのは、分厚い中間層が潤沢に構成されていたからこそ、超アップスケールも取り込んで、それが中間層へのブランドPRに繋がった時代の成功なので、それを引きずらなければ、違った今があるきもします。つまり、脱皮して始めることですね。
これが、今の時代以降だと
⚪️昔は、家電は量販店ではなく、電気屋さんで買っていました。
メーカーは、独自の販売網を持っていました
⚪️新車はメーカー直系のディイラーで買うのが普通でした
⚪️保険商品は、各保険会社の外交員や、代理店から買いました
それが既に、一つの窓口で購入できるものが見え始め、ここからはそれこそが、何処のメーカーを選ぶではなく、その販売会社を選ぶかの時代が来ると考えます。
だって、ある業種では、メーカーからの販売員を店頭に置かず、自社の販売員だけで公平に売りますと、言い始めた企業すらある。
一箇所で、複数メーカーを比べられるリアル店舗は、少なくないメリットを提供する気がします。ただし、つくり手と売り手の相互理解の上でしょうかれども。
起こる得るかたちを 今日書いたことは総て 個人の感想です”!!
⚪️メーカーの垣根なんて超えないと、クルマの売れない時代では共倒れ
※理屈を超えて時代が変化を求め始めた
⚪️私の新卒時代 商社は花形だった 結局 商社主導の時代に戻る
※あのインフラを持つ企業を買い取り再生、昭和の貪欲さが戻る
⚪️デベロッパーは、もうモノマネSCでは行き詰まる
※そろそろ飽きられても当然 右肩上がりの土地価格に円以外の匂いが⚪️都内 投資物件はの、雨上がりの筍 投資マンション
※これは、甘くもない、ただただ 危険な匂い
⚪️業種は違うけれど、リンゴの店とシアトルのカフェ屋は同じ匂い
※これだけは、別物 もはや、独立区の出来事
答えは意外に5年後に見えそう
私は、2025年1月になぜかそう感じておりまする
今ある匂いが 可視化されますよね