『生き物の死にざま』
以前、高須幹弥さんの動画で「生き物の中で最も苦しんで死ぬのが日本人」というコメントがあって、考えさせられた。
医療技術の発達もあり、日本人の平均寿命は年々上がり、男女とも80歳を超えている。
他方、老人になってから寝たきりになる人も多いらしく、延命治療等により元気に過ごすことは出来ない状態で生きながらえている人が多いようだ。特に日本人はそれが多いらしい。
そんなことを見たり聞いたりしているうちに、人間以外の動物ってどんな死に方をするんだろうと思い、本書を手にとってみた。
感想を一言でいえば、「生き物って子孫を残すために生きているんだな」ということだ。文字にしてみると改めて意識することでも無いが、生き物のふるまいは実に露骨である。
ハサミムシという昆虫がいる。昆虫で卵を産むことにより子孫を残す。昆虫の中で子育てをする種は珍しい方らしいが、ハサミムシは卵がちゃんとかえるまで母親が卵を守る。そして、卵がかえった後の母親と子どもの関係が壮絶なのだ。一部省略して、内容を紹介する:
石の下のハサミムシの母親は、産んだ卵に体を覆いかぶせるようにして、卵を守っている。(略)
そして、ついに卵がかえる日がやってくる。待ちわびた愛する子どもたちの誕生である。しかし、母親の仕事はこれで終わりではない。ハサミムシの母親には、大切な儀式が残されている。ハサミムシは肉食で、小さな昆虫などを餌にしている。しかし、孵化したばかりの小さな幼虫は獲物を獲ることができない。幼虫たちは、空腹に耐えながら、甘えてすがりつくかのように母親の体に集まっていく。これが儀式の最初である。いったい、何が始まろうとしているのか。
あろうことか、子どもたちは自分の母親の体を食べ始める。そして、子どもたちに襲われた母親は逃げるそぶりも見せない。むしろ子どもたちを慈しむかのように、腹のやわらかい部分を差し出すのだ。(略)
子どもたちが母親を食べ尽くした頃、季節は春を迎える。そして、立派に成長した子どもたちは石の下から這い出て、それぞれの道へと進んでいくのである。石の下には母親の死骸を残して。
検索エンジンで画像検索すると母親にむらがる幼虫の画像を見つけることができるが、背景を知っていると実に凄惨である。
他にもいろいろな生き物が紹介されているが、共通しているのは、子孫を残すために生きている、そのために個体は犠牲になることも多い、ということだ。
翻って個を意識する人間にとっては、自らの命を犠牲にする等、簡単にできるものではない。そもそも、子どもを作ろうとしない人だっているわけで、他の生き物のように子孫を残すために生きているように生きるわけではない。どちらかというと、誰しも自分のために生きている、という意識が強いのではないかと思う(子どもを授かると意識が少し変わるものだが)。
精神分析学者の岸田秀はこのような人間の特性を次のように語っている。
人間は本能が壊れた動物であるとわたしはかねてから主張している。もちろん、子育てに関する本能も壊れている。多くの人が指摘しているように、父親というものは人類の文化が発明したもので、父性本能なるものはもともと存在しない。母性本能は、遺伝的素養としては存在しているとしても、壊れてしまっており、人間の母親は母性本能にもとづいて子を育てるわけではない。(略)人間の親の子育ての仕方、親子関係のあり方はすべて文化の産物である。
精神分析がどれだけ科学的な知見に基づいているかは定かではないが、人間の子育てのあり方については、真実に近いことを言い表しているのだろうと思う。
いずれにしろ、人間も生き物の1つであるわけで、他の生き物のあり方や生き物の歴史的なことも学んで、人間社会のあり方も俯瞰的に見られるように意識したい。
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