体験、知識、結びつき
ものすごい色々を感じさせられていると思う。
「感じさせられ」、この始まりは、痛い、キツイ、不調などの体感。、今回の私の、という話で。
自分に発生する日々の目まぐるしい体調の変動があり、それを観る頭は持ちつつも、後にまたそれとも違う冷静な頭(意識)がそれらのトータルを観。この時には、”向こう”から押し出されてくる情報から「そうか…」というケースもあり、と何層(何重)にもなって広がっていく(いる)ように思う…まるで波紋のよう。
きっかけは小さな1回かもしれないそれが、自分の中で次々と広がりを見せてくれる。その広がりの中で、また何かが加わって…と静かな一種類の波だけではないかもしれない。機能はものすごく忙しく、こちらの静かな思いとは別に、働き続けていると思った。
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”私”とは、過去の集大成
その私では太刀打ちできない出来事の中にある時、分からないし、先に”何か”をさせられている状態になるし、だから後になって段々と、ほんの少しずつ見え出すクレッシェンド。
自分の身体のことを振り返り整理しておきたかった。
ちょうど二か月前に腰(仙腸関節)をおかしくした。そこからストレッチや少しの筋トレ、日々大きく変わる身体の様子などは、その頃のnoteで調子が大体落ち着くまで触れている。
約三週間ほどで、ほぼいつも通りに身体を動かせるようになったという感想を持った。そしてそれを見計らって整体へも行き、その数日後、「身体のあちこちに痛みを感じる」ようになり、その頃には主人の骨折・入院があり、私も動き回っていたから「またぶり返してしまったのか」と思っていた。
その時、あちこちへ痛みが移動する感想を持ちながらもその後、しっかりと痛みのない状態となっていた為、それに関して気にする事もなかった。
以前よりはストレッチを真剣にやっているせいか、生理前後の身体の苦痛はここ数か月、良くなった方だと感じていたのだけど、中間あたりの身体の重さや酷い眠気など、今度はそちらの方の重さ、しんどさが目立つようになってきていた。
少し前にラジオで話したように、「ひと月のうち、”体調がいい”と感じている(普通に過ごせている)日より、”重い・しんどい”と口にしている日が増えている気がする」という自覚が出始めた。その状態を感じる事が多くなっていたから、調子のいい日の方が少ないという印象を持った。
必ず一度きりの体験だけでは分からなくて、何度か同様のことをくり返すから、トータルで見てみて「そういう事かな」とアタリがつく。自分の中の時間が経過し、その時同じような材料が集められて、以前の、その時では出ようのない感想が、経過の後に回答される。
腰の痛みは、確かに初めは、関節をなんかおかしくした所から始まっていて、そこから元の痛みとは違う痛みへと移っていたのも、起点は同じものだったと、身体を通して私の中では感じているのだけど、その後の「ぶり返してしまったのか」という所の痛みでは、元の関節の痛みからのものとは今では思えない。
それは、今回何もない所から再び移動する広範囲の痛みを感じ、それがホルモンの変動によるものという所から更に、そうではあるけども、更年期にある症状としてのそれがあると知ってから、タイミングがよく合っている事により、自分の中で、前回のぶり返しに対しての考えを修正した。
今回の場合も、範囲の広い痛みは当初はあったのだけども、今も散らかる痛みはたまにあるけども、中心はやはり腰、おかしくしてしまった関節近辺に強い痛みを感じやすく、骨盤の状態も今度は視野に入れている。
痛みの強い時は筋トレは避け、軽いストレッチのみだけど、姿勢への意識と動き方に意識を強めている。
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具体的なことの世界(次元)で見れば、ソレと言う何か特定されたものの一つ又は色々が浮き彫りになる。
”その次元の中で”コマを替えてあれ?これ?とすることの通常から抜けて、その「大元」から流して(降ろして)観てみる、という事は、今までにも書いているけども。
今回もそれを痛感したわけで。だけど専門家じゃないから、通常の次元で幾つかのあれこれを見てその後に「ん?違うかな…」と大元へ行っている。そこから観直すと通常で見ていた”解釈”はまったく違うものになるという事を実感していた。
そしてその事が観えた時、過去(今回の話では)8月の腰の痛みから始まった流れて行く「痛み」のことが、データとして咀嚼され、次の時又は、他のことへの応用になる。
具体的に見えている次元(のデータ)、その上に上げた大元からの流れ。両方が大切だし、両方を観るから掴みやすくなる…自分を通した循環。”その次元”での観察が必要な時間もあり。それがないと、まったく絞ることができない。
そもそも私が、更年期のホルモンの変動という事に抱いているものに、メンタルを中心に捉えていたのだけども、そして更に感覚的に、ホルモンというものが、身体という肉体に直接「痛み」を及ぼすとは全く想像もしていなかったということ。
そこには、肉体の痛みとは、直接の負傷などによるもの、という漠然とした思い込みがあったのだと、後に自分に驚くわけだけども、体験だけでは深まらない、それを繋いでくれる知識というものは、まったくゼロのままではダメなのだと感じたものだった。