感情で決めない
人(相手)が決める所を、私たちは勝手に「自分基準で」決めてしまう事がある。全くもって”大きなお世話”である。
そんな遠い昔話を書きたいと思います。
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PART1
「それは、アンタの懐勘定でしょ?決めるのはお客さんだよ」
昔、営業をしていた時のこと。
定期訪問していた企業の従業員へのアプローチ、商品提案で、競合していた他社に負けてしまった。話をしていく中で読み取りで、”価格の安いもの”を中心に話しを進めていた。
何度目かの時に声をかけると、「あ~、他で決めました」という意表を突いた回答をもらい、ショックを受けた。そして上司への報告の返事が冒頭のその様なものだった。
これは、上司の言葉使いとか言われ方とかは何とも思った事はなく、この事は私の中にもの凄く響いた事として、今でもたまにこうして思い出す。更に言えば、上司の言葉はもっと丁寧だったかもしれない…仲が良かったから”アンタ”と呼ばれていた。
この時の私の気持ちとして非常に悔しい思いをした事は憶えているのだけども、何より「私の懐勘定で」という所にもの凄い学びを得て、その悔しさと共に、「私の想いと相手とはしっかりと分ける」という学びから営業のスタンスをハッキリと変えた事を憶えている。
確かにそうだよな…、決めるのは私じゃない。私は”提案する”のが仕事だから。
・・・、他社のベテランの方が、”力が上だった”事は、ここで言うまでもない(笑)
PART2
「うちは来ても無駄だよ、誰も入らないから(笑)」
『私はみなさんへ商品のご案内をするのが仕事なので(*^^*) 待っている方もいらっしゃいますのでね』
個人宅訪問はこの仕事では殆どやっていなくて、企業の飛び込みに始まり、その中を開拓していく。大体は訪問窓口で門前払いにはなる。だけど、そんな事は関係ない、私は仕事をしているだけなので。
ダメな所は即答してくれるので、それはこちらにとっても非常に”助かる”こと。どちらともなくのスタンスの所も意外に多く、しっかりと”断り”があるまでは顔を出して足を運ばなければ”営業”ではない。
慣れないととにかく「断られる事が怖い」と思ってしまうものだけども、ハッキリと”仕事”という割り切りも必要、と私は思っている。
そして、クロージングでも、飛び込でも、先方がはっきりと答えてくれない場合は逆に、どういう意思かを確かめて”切らせて”あげた方が互いの為。答えずにいつまでも引っ張る人がいる事もかなりあったので、「断って頂いてもよい」という事を私は相手に伝えた。
こちらは振り回されなくて済み、次へ行ける事がメリット。相手にとっては、断りずらいという日本人がとても苦手な事を”やってもいい”と気が楽になる事、それがメリットだと思う。
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このやり方が”正しい”のではなくて、上司から見れば「あっさりし過ぎ」と見られるも、私が嫌いなスタイルを除いたら、自身の営業スタイルはそうせざるを得なかった、という話。
ただその”あっさり”している分、回転が大分速く次々とあちこちへ足を運ばなければならないという事はあった。
訪問地区の”アタリハズレ”も実際にはあったし、何より、やっぱり”人間関係を築く”という事の上に、「あなたに決める」がある。それまではやり続けるという動作を見せる事は一つの”営業”なんだろう、とも思う。
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大分昔の話なので、現在のスタイルとは異なるだろうし、ネットでの”営業”はできる訳で、そのアプローチも変化していると思う。
少し前の事。
あるTwitterがタイムラインに流れているのを見ていた。
その後、再び同じツイート内容を目にした…。
またその後、同じ内容を目にした。
以後、定期的に(不定期に?)、くり返していると気づく。
「あ…、営業(案内)か。静かにちゃんと定期的に流してるんだ…」
私の目にはその様に見えた。
多分、営業を嫌う人からしてみたら、もしかしたら”鬱陶しい”かも知れない。私だって不要なものは何度も目にしたくない、と思う。
だけど、それが静かに浮かび上がってきた時、この”地道さ”が非常に大切と感じていた。そしてそこに、”誰か”の反応をいやらしく誘うでもなく、ただ淡々と”ご案内する”という姿勢を感じて、「営業って、こういう事だよな」と思っていた。
私たちは、つい自分側から何かを提示する事を避けてしまう。それは大体、相手に嫌われたくないから。それを怖がってしまう。
嫌われるのは、誰もが望まない事で、でももし何かの結果にそれがあるのだとしたら、それは”仕方のないこと”と思う。
まず冒頭で触れたように、決めるのは”相手”であって、自分側が相手の領域の事を勝手に決めつけてはいけないし、自分側も勝手に引っ込む必要はない。”やり取り”を勝手に思い込むから怖くなる。
互いが自分の領域の”事”を成すだけなのに、互いが各々決められる事を、間違った判断で決めてはいけないと思っている。されて迷惑と思う人がいれば、逆にそれを待っている人もいる。それを見る目線は人によって違う。
多くの場合、人は自分の経験からしか「その行動の判定」をしないので、それを一緒くたにするのは私は好きでないし、自分の活動・行いをオープンにして知ってもらう事、案内する事は大切と思っている。
いつも誰も、どんな時も何事も、強制なんてされていない。
自分がしっかりと選択していないだけ、という事を営業の話を通して書きたいと思った。