アート・ヒステリー ---なんでもかんでもアートな国・ニッポン
"必要なのは、『アート=普遍的に良いもの』という信仰から、できる限り遠ざかることです。アートの世界で喧伝される『可能性』や『豊かさ』という幻想から離れる。むしろ『可能性』という名の不可能性、『豊かさ』という名の貧しさを見つめる。そこから、今まで目に映っていたのに意識されなかった風景も見えてくるのではないかと思います。"2012年発刊の本書は廃業アーティストがアート島を外側から眺めて提言した【何でもかんでもアートな国】ニッポンへ向けた一冊。
個人的には、著者の本は"誰もが承認欲求を満たす為に自称する"ことを指摘した『アーティスト症候群』に続き2冊目として手にとりましたが。
帯に【ガラスのハートの美大生】【困っている(美術)の先生】【今こそアートが必要!と訴えたい業界関係者】【普通と違う願望を抱く社会人】に読んで欲しい!と割と刺激的なキャッチコピーが並んでいる通り。前作に続いて、割とアート関係の集まりで【馬鹿正直に発言すると煙たがられる】だろう一方で、そもそも【外側、あるいはマージナルな場所から】日本のアート界隈を10年以上眺めている私にとっては【事実認識に近いと感じる事】を容赦なく指摘していて。苦笑いしつつも、まさにアートが都合よく【万能薬的にさらに使われる現在】変わらず異物的であっても、やはり必要な本ではないかと思いました。
また、こちらは私にとっては勉強不足であった【明治期からの日本の美術教育の変遷】について。エーリッヒ・フロムの『自由からの闘争』ではないが、アート=自由と何度も時代毎に安易に結び付けられる中で義務教育に生じている、自由や個性の前提となる【社会性の獲得機会の欠如】に警鐘が鳴らされていて。アートというか教育全体については、アクティブラーニングや教育改革で【自分の頭で考える】事が求められていく流れには私は肯定的ですが。その前提となる【違う他者と共存していく】認めるスキルというか【民主主義の根本を支える】土台的精神の大切さが、容易く他者をブロック(排除できる)SNS時代の現在、益々おざなりになっている危険性について、あらためて考える機会を与えてくれました。
前述のようにアートに関わっている学生や教育関係者、業界関係者はもちろん、とにかく前提として肯定的に語られる【アートに違和感や気持ち悪さ】を覚えている人にオススメ。
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