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シュルレアリスム宣言・溶ける魚

"シュルレアリスムという言葉を、私たちが理解しているようなごく特殊な意味において用いる権利に異議をとなえるむきがあるとしたら、それはひどい悪意のしわざである(中略)そこで、今こそきっぱりと、私はこの言葉を定義しておく。"1924年発表の本書は、生々しく挑戦的な反ユートピア的テクスト。

個人的には人前で美術史を話す機会があるのですが。史実としてダダと決別した著者が創始者、指導者として『シュルレアリスム宣言をした』と毎回紹介している割に実は内容をちゃんと読んでいなかった(笑)ので手にとりました。

さて、そんな本書は『くねくねと蛇行する、頭がへんになりそうな文章』で、ドストエフスキーの『罪と罰』の一文を【精神がこのようなモティーフを思い描くということを認める気にならない】プルーストを【未知のものを既知のものに分類しようとしている】とバッサリ非難しつつ、フロイト影響下により夢や無意識下の重要さを語りつつ、些か【唐突にシュルレアリスムを定義化】して『生はべつのところにある』で終わる『シュルレアリスム宣言』が約80ページ。あらかじめ何も予定せず文章を書き付ける『自動記述』によって書かれた(但し編集はしている)幻想的な詩的文章『溶ける魚』が約120ページ。収録されているのですが。

まず、最初に浮かんだのは訳者の約60ページにわたる注釈の分厚さ、そして難解な文章が続く『溶ける魚』をよくぞここまでわかりやすくしてくれた!といった感謝の気持ちでしょうか。おかげで『シュルレアリスム宣言』がもともと『溶ける魚』の序文として書かれたにも関わらず【突然"宣言"と変えられた背景】などかよく理解できました。

また、シュルレアリスム運動自体はこの宣言を運動の理論的支柱にして当時の芸術関係者から注目を浴び、大きな影響を与える一方、共産主義への接近や、著者が法皇としてワンマンに振る舞い続けた結果、創設メンバーのほとんどが離れていくのですが。それでも、本書に込められた【芸術への熱情、新しい挑戦に挑もうという気概】に関しては翻訳を通じても伝わってくる部分があって、何ともうたれる部分がありました。

美術史に関心ある方はもちろん、実験的な文学論としてもオススメです。

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