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二十歳の原点

"私は、自分の意思で決定したことをやり、あらゆるものにぶつかって必死にもがき、歌をうたい、下手でも絵をかき、泣いたり笑ったり、悲しんだりすることの出来る人間になりたい。"1971年発刊の本書は戦後最も読まれた日記。当時20歳の立命館大学生だった著者が揺らぎながらも懸命に駆け抜けた半年間の記録。

個人的には知る人ぞ知る、京都大学近くの名建築『白亜荘』そして人気カフェ『六曜社』と、今でも著者を感じれる場所こそ現存するとは言え、すっかり昔となった1960〜70年代。「三島由紀夫vs東大全共闘」でも描かれた時代の空気感を感じ取りたいと本書を手にとりました。

さて、そんな『独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。』と学生運動がピークを迎えていた1969年1月2日(大学2回生)の20歳の誕生日から始まり、同年6月22日(大学3回生)まで、そして6月24日未明の【貨物列車への飛込自殺の2日前まで】続く約半年間の日記である本書は、死後、遺族である父親の編集により同人誌「那須文学」に掲載、その後、新潮社の編集者が『二十歳の原点』と名付けてあらためて出版、累計230万部を超えるベストセラー、映画化と大反響を生んだ名著なのですが。

やはり『若くして自殺』という痛ましいイメージから『重たい内容』を想像して読み始めると、むしろ20歳。栃木県の親元から離れて京都、立命館大学へ進学、初々しい学生・寮生活を『生々しく、また正直に綴る』彼女の【普通の若い女性としてのチャーミングさ】二十歳記念に『(伊達)メガネをかけよう』から始まり、初めてパチンコに恐々入ったり、タバコにお酒に手を出しつつ、文学部として『太宰の作品を読む』と本を読んだり、詩を書いたり。と【健康的な?無邪気さや明るさに驚かされ】同じく京都で学生生活を過ごした1人として、強く引き込まれた。(余談ですが、有名ブロガーの『ちきりん』にとって「人生を変えた一冊」とブログを始めるキッカケになったのも『何となく』わかります。私にはどこか、シモーヌ・ヴェイユ、そして「工場日記」を想起させられましたが・・)

一方で、読み手として。今は『中年男性の私』は、著者自身に感情を重ねるというよりは、何不自由なく育てたつもりの娘が「突然自殺してしまった」と喪失感を覚えたであろう遺族、中でも父親が本人の死後【日記を見つけ編集、同人誌に自ら掲載したり、また人目に広く読まれる商業出版を許した】心の動きに(非難とかではなく)思いを寄せる部分があって『自分が父親だったらどう判断し、行動するだろうか?』と考えてしまいました。(この編集人 N. Kitamotoという方が作品を取材、調査・研究しWEB公開している「高野悦子「二十歳の原点」案内。の遺族インタビューも拝見しながら・・・)

⁡立命館大学、あるいは京都での学生生活にかって縁があった、今も縁がある方々。また60年〜70年代の学生運動がピークを迎えていた時代の空気を思い出したい、感じたい人にもオススメ。

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