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神々の村

"みずからはことばをしゃべらぬものたちの物語にわたしは耳を傾ける(中略)わたしの見ているのは、日本資本主義発達史とやらの概要からはこぼれ落ち、辺境の野末に相果てたものたちの影絵である"2006年発刊の本書は前作から30年を経て描かれた『苦海浄土』全三部作の空白を埋めた第二部にして最終作。

個人的には。前作『苦海浄土』の自然と没入させられるというか、まるで憑かれるような読書体験が忘れられず、引き続き手にとりました。

さて、そんな本書は水俣病がまだ社会、政治問題化する前からをヒタヒタと押し寄せる不気味さ、悲惨さと共に描いた第一部『苦海浄土』の時系列的には続きとなる【1969年の訴訟提起から翌年のチッソ株主総会への出席】までが舞台となっているものの『第三部・天の魚』が先に書かれた後、30年の長期を経てようやく完成した作品なのですが。

無名の詩人、主婦として。ある意味イノセントな立場で『被害者』の患者たちに寄り添いながら『加害者』であるチッソという、わかりやすい水俣病を巡る二極対立を描いた前作に比べて、本書では水俣病訴訟が社会からもっとも注目を浴びた時期だからこそ必然的に新たに起きた分断や混乱【閉鎖的な村落社会の暗部】にまで踏み込んだ複雑な内容になっていて、推測でしか過ぎないが村人たちと向き合ってきた著者自身にとっても【かなり苦渋が伴ったのではないか】と、年齢を重ね【前作以上に抑制のきいた文章】から感じました。

また、本書のクライマックスとして圧巻なのはやはりラストのチッソ株主総会での銀行から送り込まれた社長との【感情が爆発するかのような患者家族たちのやりとり】かと思うし、実際、会社側の【責任回避のための手段を選ばないやり方】に呆れ、怒りを覚えてしまうのですが。それ以外の部分。前作と変わらず伝わってくる患者家族たち『村人』の訴訟への"巡礼"に伴い御詠歌を皆で練習する素朴な姿、熊本や大阪と『都会』に出て無邪気に驚きつつも、文字を書けなくても発せられる【真理を突くような言葉】を著者は愛情と敬意をもって"預かっていて"一つ一つが強く印象に残りました。

水俣病自体は1997年に水俣湾の安全宣言がなされて、一応の終結を迎えていますが。福島第一原子力発電所事故、新型コロナウイルスと災禍が起きるたびに繰り返される【社会的弱者が真っ先に犠牲され】また明らかになる【集団の中での分断、孤立化】とも重ねて読める本書。やはり不朽の作品だと思いました。

水俣病や公害病、環境問題に関心ある方はもちろん。前作以上に洗練された唯一無比の文章に触れたい方にもオススメ。

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