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手のひらを太陽に…

童謡に学ぶシリーズ

こちらも続けていけたらいいなと思う。

今日は明るい曲

『手のひらを太陽に』

なんていかがでしょうか。

やなせたかし作詞

いずみたく作曲

のこの曲。

やなせたかしさんは

ご存知アンパンマンの作者。

いずみたくさんは

ゲゲゲの鬼太郎とかいい湯だなとか

チョコレートは明治のCMソング

も作ったりした方

幸せなら手を叩こうもいい歌ですね。


歌詞は以下…


ぼくらはみんな 生きている

生きているから 歌うんだ

ぼくらはみんな 生きている

生きているから かなしいんだ

手のひらを太陽に すかしてみれば

まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)

ミミズだって オケラだって

アメンボだって

みんな みんな生きているんだ

友だちなんだ

ぼくらはみんな 生きている

生きているから 笑うんだ

ぼくらはみんな 生きている

生きているから うれしいんだ

手のひらを太陽に すかしてみれば

まっかに流れる ぼくの血潮

トンボだって カエルだって

ミツバチだって

みんな みんな生きているんだ

友だちなんだ

ぼくらはみんな 生きている

生きているから おどるんだ

ぼくらはみんな 生きている

生きているから 愛するんだ

手のひらを太陽に すかしてみれば

まっかに流れる ぼくの血潮

スズメだって イナゴだって

カゲロウだって

みんな みんな生きているんだ

友だちなんだ


この歌で大事にしているキーワードは

『生きる』『友だち』

希望の隣は絶望

これはやなせさんの本にも出てくるワードです。

生と死は常に隣り合わせ

生きていることの実感によって

希望が湧いてくる。

生かされていることを知った時

生きる力が湧いてくる。

実はやなせさん

この曲を作った時は非常に気持ちが沈んでおり

明るく元気なこの曲とは対極な状態だったよう

仕事に生きがいを感じられず、

やる気もあまりなく、

暗い部屋に一人落ち込んでいた。

そんな時、懐中電灯に手をかざすと

血管を流れる血がうっすら見え

生きていることを実感したんだと。

生きることの意味を考えると

僕らは何の為に生きているのか

目的や成果を求めてしまう

でも、生きていることで

得られる目的や成果もあるんだと思う。

生きていることに

そもそも意味はない

意味は後から付ければいい。

せっかく生きているんだ。

しっかり楽しもう。

一人じゃなく複数で。

種別なんか関係ない。

地球上全ての生物が

手を取り合えば

理解しあえれば

幸せって感じ取れるものなんじゃないかな。

そんな思いが含まれているんじゃないかな。

死がダメなものでもない。

苦しみからの解放なんて表現もあるから。

昔は自害が美学というか、

カッコいい、カッコわるい最期ってのが

意識されていた時代もある

忠義というか、恩恵というか

上下関係や家族の絆とか守るべきものも強くて

それを守る為に選ばれる死

ってのもあったんだと思う。

でも、

時代も変わって

今なら

方法って死以外にも絶対あるはず。

一人でなく複数なら解決できる可能性も広がる。

本当に悩んでいる時こそ

誰かに伝える。つぶやく。ささやく。

そんな些細なことから始めてみるのも

大事なんじゃないかな。

色んなヒトがいるけれど、

絶対どこかに拾ってくれるヒトがいる。

悪いヒト、怖いヒトだって

全てが悪い怖いことなんてない。

性善説/性悪説ってのもあるけれど。

僕はスタートは0(ゼロ)だと思う。

いい人であっても、全てがいい訳ではない。

その世界、環境、役割ではいいかもしれないけど

見方や場所、立場変われば

悪になる事だってある。

イメージ先行で

印象ってなかなか変わりづらいけど

ヒトって案外優しい。kindness

じゃないと社会は成り立たない。

結局何が言いたいかというと

生きる ただその行為には意味はなく

生きる目的や付随する行動

意味は後から付ければいい。

生きているからどうするの?

それが一番大事な部分かなって思う。

自己満足でも良い。

誰かに向いていれば

きっと自分にも返ってくる。

そう社会は成り立っている。

支え合い。

サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!