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高校生が感じた「能登半島の絆」 ~災害救援ボランティアで得た貴重な教訓~

災害が起きたとき、私たち学生にもできることがある!

これから紹介するのは、都内に住む高校生である私が現地で災害救援のボランティアに参加した実体験です。

二重の災害に見舞われた能登半島の様子を振り返りながら、ボランティアを通じて得た貴重な教訓や、現地での心温まるエピソード、災害ボランティアについてをお伝えします。


1. 能登半島の様子

①1月1日に起きた大地震
2024年の始まりを迎えた元日の夕方 16時10分頃、マグニチュード7.6、最大震度7の大地震が発生しました…
石川県、富山県、新潟県、と広範囲に被害が及び、死者は500人以上と報道されています。

内灘町で起きた液状化現象(石川県ホームページから)

人的被害の他に、家屋の倒壊、交通網やインフラの寸断、液状化、海岸の隆起、火災、土砂災害など多くの物的な被害もありました。また、日本海側沿岸では津波による被害もあったようです。

輪島市で発生した大規模な火災被害(石川県ホームページから)

「奥能登」と呼ばれる能登半島の北部(珠洲市、輪島市、能登町、穴水町)では特に膨大な被害を受けました。

道路網が寸断され、支援に時間がかかり、山あいには孤立集落が続出しました。

金沢と能登半島を結ぶ「のと里山海道」の道路被害(石川県ホームページから)

② 9月の豪雨
さらに、9月20日から23日かけて同じ奥能登の地域で線状降水帯が発生し、大雨をもたらしました。

石川県では初めて大雨特別警報が発表され、河川の氾濫や土砂災害が相次ぎました。主要な幹線道路が豪雨でもダメージを受けたと聞きました。

土砂災害の被害が大きかった珠洲市の大谷地区(石川県ホームページから)

復興に苦しむ能登半島に追い打ちをかける形となってしまいました。

③ 災害関連死の増加
災害後の生活による疲労やストレスが原因で亡くなる「災害関連死」は、2度の災害による直接死の数を上回っています。

災害の支援や生活環境の改善、現地の方との関わりを通じて災害関連死を防ぐことも、ボランティアの重要な役割だと実感しました。


さて、私は2024年5月のゴールデンウィークと12月上旬に、それぞれ3泊4日の災害救援ボランティアに参加しました。
2度とも、東京から車で能登半島まで移動しました。

移動は長かったですが、友だちと話していたら、割とあっという間でした。石川県に入るとブルシートで補強された家などが増えた印象です。

2. 初の災害救援ボランティア  (2024年5月)

初めて現地に足を踏み入れた時は、非常に衝撃を受けました。ニュースで見ていた光景が目の前に広がっていることに、すごく胸が痛くなり、強く心を打たれました。

正直、これが本当に現実なのか、疑いたくなるほどの衝撃とショックでした。

5月の活動では、宝立町と川浦地区での海岸清掃と折戸地区での道路整備(道路の啓開や、道路上の砂の除去)を行いました。

地盤の液状化によって飛び出たマンホール=2024年5月3日、珠洲市鵜飼漁港で(筆者撮影)

特に印象に残っているのは、石川県珠洲市の南部にある宝立町の海岸を住民の方と一緒に清掃したことです。

そこでは、ボランティアとしての作業以上に、住民の方の声に耳を傾けることが大切だと感じました。ボランティアの作業は、作業ではなく、被災地を勇気づけるための手段である気がします。

実際にお話をし、「忙しくて手付かずだった海岸を綺麗にできて嬉しい」「高校生が遠くから来てくれて、心強い」と、多くの感謝のお言葉をいただきました!!

また、能登半島は海が綺麗で、すごく魅力に溢れてる場所だと実感しました。

最高の景色とカップ麺
=2024年5月5日、珠洲市川浦町で(筆者撮影)

※案件ではございません

珠洲の海を見ながら休憩で食べたカップラーメンは、今までで一番。最高の1杯でした。

学生ボランティアの友だち同士で楽しく食べる夜ご飯
=2024年5月4日、珠洲市内で(筆者撮影)

医療支援の拠点となっていた珠洲市の施設に泊まらせていただきました。

兵庫県南あわじ市が支援していた移動式のトイレ車両
=2024年5月5日、珠洲市内で(筆者撮影)

その外には、兵庫県あわじ市の移動式トイレが設置されていました。

施設内に電気も水も通っていたが、地震発生当初は欠かせない存在だったのだろうと思いました。また、兵庫県の小学生が書いた珠洲の方への応援メッセージが貼ってあり、すごく心温まりました。


3. 半年後の能登半島 (2024年12月)

約半年後の12月、再びボランティアで能登に向かいました。
前と比べて、道の舗装された部分が増えたと感じました。

左:新タイプの仮設トイレ、右:前行った時からあった仮設トイレ
=2024年12月13日、能登町の道の駅桜峠で(筆者撮影)

幹線道路の休憩エリアには、新しいタイプの仮設トイレが設置されていました。

新タイプの仮設トイレの中

よーく見ると、ヒーターが!しかも、水洗トイレでウォシュレット機能もありました。

海底が隆起している
=2024年12月14日、珠洲市内で(筆者撮影)

私自身は3度目の災害救援ボランティアということで、最初は不安で一杯でしたが、少し慣れてきました。

ボランティア同士の打ち合わせ
=2024年12月14日、珠洲市内で(筆者撮影)

今回の活動では、珠洲市の清水町と輪島市の町野町での泥出しや花壇や側溝の土砂のかき出しを行いました。

珠洲市の馬緤町では、2025年の初詣には地元の方が参拝出来るようにと、地震によって傾いてずれていた鳥居を元に戻す作業を行いました。


「若者がいてくれるだけで、勇気をもらえる。本当にありがとう」という感謝のお言葉をいただき、嬉しかったです。

学生ができることは、ほんの少し。だが、ボランティアとしてできること・やったことは微力であるかもしれないが、決して無力ではないんだな…と実感しました。

昼休憩で食べた最高のカレー
=2024年12月14日、珠洲市清水町で(筆者撮影)

4. 災害救援ボランティアの魅力

実際に被災地に足を運んで、直接的に支援でき、やりがいがあります!
現地の方とお話しできるのもすごく貴重な経験になり、普段の生活では得られない視点や経験を得られます。

また、現地でのボランティア同士の出会いで、絆を築くこともすごく魅力的です。

=2024年12月15日、DRT JAPAN 輪島市ベースで(筆者撮影)

もう1つの魅力というか、私が考える大切なことは「災害救援」という経験です。

日本に住んでいる以上、いつどこで被災するかわかりません。災害救援の経験がは、自分の大切な人や地域を守ることに繋がると思います!ノウハウを身につけ、適切に対応ができる力を持つことが、「災害大国ニッポン」の未来を支えられると思います!!

安全面の懸念もあると思いますが、災害ボランティアに是非、興味を持っていただきたいです。


5. 災害救援ボランティアの心構え

①「被災地」「被災者」「がれき」…という言葉は、よくない。
現地の方々への配慮を忘れないことが大切だと思います。
現地の方にとって、被災地は地元。被災者ではなく現地の人で…一人一人の人格を尊重するべき。がれきではなく、持ち主の大切なもの …です。
これらのマインドを持つ必要があると強く感じました。

② ボランティアをさせてもらう、というマインドを持とう。
ボランティアは「労働」ではありません。ですので、少し慎ましい表現ですが、「お手伝いさせていただいている」という気持ちを忘れないようにすることが大切だと思います。


6. ボランティアが不足しているなら、ボランティアのことをもっと考えてほしい

能登半島の災害は、「今までで一番、ボランティア不足」と言われています…

能登半島で活動しているボランティア団体
=2024年12月15日、DRT JAPAN 輪島市ベースで(筆者撮影)

①手当を増やして!
国や自治体で「できること」と「できないこと」があり、対応しきれない被災地の「助けて」というニーズに応えられるのがボランティアです。

そんな災害現場で欠かせない存在ですが、手当が薄いのが現状です。

「ボランティア」(語源はラテン語)という言葉は無償の行為、慈善活動の意味で使われることがありますが、自発的に行動するという意味が込められています。ボランティアへの支援を増やしてほしいと思いました。

②行政の対応、、、
地方行政は危機管理課、政府は内閣府の防災担当が災害時の対応にあたっています。しかし、数年で担当者の交代が行われているケースが多く、ノウハウがたまらないと懸念されています。災害大国であるにもかかわらず、このようなややグラグラな体制であることは、とても心配です。

現地で重機を動かしていたボランティアの一人は、「災害救援のノウハウに関しては、自衛隊とか、行政より、俺の方が詳しかったりするんだよ。」とおっしゃっていました。どこまで「ボランティア頼み」なのかという疑問の声もありました。このように、細かいところまで行政の対応が手が届いていないと感じました。


7. 私が参加した災害救援ボランティアを通じて

震度7を観測した2024年1月1日の「令和6年能登半島地震」の発生から1年が経ちました。

地震と豪雨がもたらした悲劇の後、現地の方はきっと辛く、大変な思いをされたのだと思います。しかし、現地の方は苦しい顔を一切見せることなく、笑顔で生き生きと日々を過ごされていました。
それを見て、本来、勇気を届けるべき立場である私たち学生のボランティアが、逆に力強さに圧倒され、なんだか、勇気をもらった気がしました。

ゴールデンウイークの活動で1人の現地の方が、「実は凄く悲しいことがあった… だけど、後ろを向いててもしょうがないよね」と私に本音を語っていただきました。

そして、「能登はいい場所だから、また来てね!」と優しく送り出してくれました。そんな優しく、力強く、たくましい現地の方々が忘れられません。

=2024年5月5日、珠洲市折戸地区で(筆者撮影)

復旧には時間がかかると思います。そして、完全に元通りの生活に戻るのは難しいかもしれないです。しかし、なんだか、現地の方々の心はすでに前を向いているように感じました。

【参考】 中高生で「災害救援ボランティア」にチャンレジしたい人へ!

近所のボランティアセンター(ボラセン)や社会福祉協議会(社協)などが、災害ボランティアの派遣を出していることがありますが、基本的に社会人向けが多いです。一部では高校生も参加できるみたいですが、定員が少なく、高校生の参加へのハードルが少し高いのが特徴です。

他には、日本財団の「ぼ活!」からも参加することができますが、18歳以上が対象で、能登半島の場合は金沢集合などで東京や大阪からの参加だと移動の負担がかかってしまいます。

そこで、IVUSA(NPO法人国際ボランティア学生協会)から参加することをお勧めします。長い歴史があり信頼でき、大学生が所属のほとんどですが日本最大級の学生ボランティア団体で、ボラプレのスタッフも複数入っています。
この団体の魅力は「費用」と「環境」だと思います。年間費は高校生 2,000円、中学生 1,000円です。さらに、活動への参加費(数千円)を支払うと災害救援ボランティアに参加できます。あとは安全靴やラバー手袋、寝袋、釘踏み抜き防止のインソールなどの個人装備を揃えればOKです。東京や大阪から車で移動するため、追加の負担がありません。(交通費、宿泊費、食費などを考えないでいい!)また、大学生と一緒に楽しく活動できる環境もすごく魅力的です。

参考程度にお読みください。


また災害救援ボランティアへのチャレンジ以外にも、中高生でも様々な形で現地を支援することができます。

例えば、募金や、伝統工芸品である輪島塗など能登の特産品を買うなどです。私も、買い物の時に釣り銭が出れば、(最近は置いてないとこが多いですけど)レジ横の募金箱に入れるように心がけています。


この記事を通じて、少しでも能登半島の現状や「災害救援ボランティア」の取り組み、活動の魅力について知っていただけたら幸いです。

最後に、私の団体についてのご紹介とお願いがあります。

学生団体ボランティアプレイス(ボラプレ)は高校生10名が、「中高生による中高生のためのボランティア」を掲げて、ボランティアの主催・共催、ボランティア情報や魅力の発信を行っています。

自分たちでウェブサイトを作成し、放課後に会議を開いて企画を行なっています。仲間と一緒で楽しいですが、ちょっと大変です。

けれども、一番苦労しているのは「お金」です。
ウェブサイトにかかる費用は、私たちのお小遣いなどから出しています。私は、学食を500円の定食から400円のラーメンにしたりし、なんとか捻出しています笑笑

今年、「NPO法人化」を目指しています。そのためには、Webサイトなどを含めた団体の活動費、NPO法人化のために必要なバーチャルオフィスの費用、印鑑作成費用など… 多くの予算が必要です。そのためのクラウドファンディングを今後、行う予定です。よろしければ、是非、ご協力ください。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

学生団体ボランティアプレイス 代表


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