戦争単元の学習を行うとしたら・・
今日は終戦記念日です。
この日を私は、先人たちの犠牲のうえで我々は生きていること。
敗戦によってどん底となった我が国をわずがな年月で復興させた人々たちに感謝し、生きてこうと決意する日です。
一方で、先の大戦から我々が学ぶこと、
時代の流れから、今を生きる時代でも活かされることはあります。
今回は、もし私が戦争の単元を取り扱うとしたらどのような題材で授業を進めるか提案します。
1 学習指導要領では・・
学習指導要領では以下のように示されています。
(小学校第6学年)
イ 次のような思考力,判断力,表現力等を身に付けること。 ア 世の中の様子,人物の働きや代表的な文化遺産などに着目して,我が国 の歴史上の主な事象を捉え,我が国の歴史の展開を考えるとともに,歴史 を学ぶ意味を考え,表現すること。
(中学校歴史的分野)
(カ)第二次世界大戦と人類への惨禍 経済の世界的な混乱と社会問題の発生,昭和初期から第二次世界大戦 の終結までの我が国の政治・外交の動き,中国などアジア諸国との関 係,欧米諸国の動き,戦時下の国民の生活などを基に,軍部の台頭から 戦争までの経過と,大戦が人類全体に惨禍を及ぼしたことを理解するこ と。
(高等学校地理歴史科)
(ウ) 国際社会やアジア近隣諸国との関係,政治・経済体制の変化,戦争の推移と国民 生活への影響などに着目して,主題を設定し,第二次世界大戦と日本の動向の関わ りについて,事象の意味や意義,関係性などを多面的・多角的に考察し,歴史に関 わる諸事象の解釈や歴史の画期などを根拠を示して表現すること。
どれも思考・判断・表現に関する項目です。
小学校ならば、この時代の特色を理解することで「なぜ今とは違うことが起きたのか」を考えるきっかけにしたいです。
中学校であれば、国内外の時局の変化と国民生活を関連付けされていきながら戦争がもたらした現状を理解、考えさせたいです。
高校であれば、当時の国際関係を多面的・多角的に捉えながら当時の日本人の価値観などを捉えたいですね。
2 私が提案する戦争題材①
まずは小学生向けの題材です。
単元の最初に2枚の画像を見せます。
それぞれの画像から感じ取ったことを出し合います。
上のモガの女性ならば「かわいい」、「今でもいそう」という声が出るでしょう。
下であれば、「地味」、「こわそう」、「田舎のファッション」という声が出るでしょう。
そして、「この画像、どっちが古いでしょう」と問いかけます。
児童はほぼ上の画像が新しい時代と答えるでしょう。
ところが実際は上の画像は大正末期から昭和初期、
下の画像は太平洋戦争中の画像です。
そこで、「なぜ20年で女性の服装が地味に変化したのだろうか」
と単元を貫く問いを投げかけます。
「国家が貧しくなった」
「戦争の影響」などと予想が出るかと思います。
少なくとも女性の服装が地味になったのには当時の国民生活が貧窮したことは間違いありません。
この単元を貫く問いから、当時の世の中の動きと、国民生活の様子を関連付けさせたいです。
その際、児童は国語の学習で「ちいちゃんのかげおくり」や「一つの花」をしていることから、空襲や食糧難は薄々理解しているでしょう。
しかし、ここでの切り口は、
「戦局が悪化することで次第に国民生活は圧迫された」ことを押さえたいです。
これは、当時の国民が「ゆでガエル」状態に陥ったこと。
そしてこのことは当時のことだけでなく、古今東西あることです。
1938年 国家総動員法制定
1940年 マッチや砂糖の配給制が始まる 隣組の設置が始まる
1941年 全国中等学校野球大会の中止
1943年 学徒出陣 学徒動員令 上野動物園戦時猛獣処分
1944年 学童疎開開始
ざっくりとした史実ですが、次第に国民生活がひっ迫していることを押さえたいです。
そうすることで、
「当時の国民の生活をもっと知りたい」
「なぜ次第に生活が苦しくなっているのに当時の国民は不満を出さなかったのだろうか」という新たな問いを生み出すことが期待されます。
3 私が提案する戦争題材②
この題材はかつて講座をやった時にも提案したのですが、
この遺構が何時代で何の目的で構築されたのか、一発で正解した受講生はいません。
多くは戦国時代の城跡と答える人が多かったのです。
しかし正解は戦時中の掩体壕(敵の空爆から飛行機を守る施設)です。
この掩体壕は現在の航空自衛隊百里飛行場の近くに構築されたものです。
掩体壕は今でも全国各地に現存します。
現存している掩体壕はコンクリートで構築されたものもあるのですが、
百里掩体壕は土盛りで、当時は上の部分を木の枝などでカモフラージュしていたと考えられます。
土盛りの掩体壕・・どう考えても耐久性に疑問符が湧きますが、
「なぜ、このような土盛りの掩体壕が作られたのか」
という問いを発します。
そうすると、
〇当時の日本ではコンクリートなどの資材が不足していた。
〇防空圏が狭くなり、アメリカ軍の空爆が激しくなった。
〇地元の住民を総動員して戦意高揚を図った。
などの予想が考えれます。
この予想から、資料を活用し、当時の戦況や国民生活を関連付けさせたいです。
4 私が提案する戦争題材③
これは高校生などに取り上げたいのですが。
太平洋戦争中、東条英機、小磯國昭、鈴木貫太郎の3人の首相が在任していました。
東条はサイパン陥落の責任をもって辞任。
小磯は海軍大臣の米内光政とタッグを組みますが、硫黄島陥落、沖縄戦米軍上陸の責任をもって辞任。
鈴木は終戦工作内閣と言われますが、
1945年4月に就任して、ポツダム宣言受託まで4か月の時間を要しました。
この間に、沖縄で軍民合わせて約20万人の死傷者を出しました。
さらに、広島、長崎の原爆投下。
ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し参戦。
その他、大都市だけでなく地方都市も空襲で町が破壊され、多くの民間人が犠牲となりました。
特にサイパン陥落後からは国内でも被害が大きくなります。
今の感覚であれば、「なぜ、もっと早くに降伏すればよかった」
と疑問を呈するでしょう。
しかし、それができなかった。
小中学校の学習でいかに国民生活がひっ迫しているのにも関わらずでも。
この素朴な疑問に、
「なぜ当時日本はもっと早く降伏しなかったのか」
と問いかけます。
この背景には当時の国体護持だったり、
軍人、政治家、財閥の思惑があるかと思います。
これって今のロシア、ウクライナの問題や、
イスラエルのガザ侵攻につながっていきます。
5 切り口一つでいろいろな題材から学ばせたい
今回は、女性の服装や掩体壕などから、
当時の時代の様子を探究していける題材として提案しました。
当時の国民の実態、声から
当時の国民生活が苦しかった背景、国際状況などが見えてきます。
どの切り口から題材を掘り下げるか、
考えてみてください。
最後の最後に、
ほとんど歴史の事業で取り上げない占守島の戦いを取り上げます。
【占守島の戦い】終戦直後…ソ連の侵略から日本を守った戦士達【大東亜戦争】【太平洋戦争】 (youtube.com)
この動画から現代の国際関係が見えてきます。