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自分がだめになりかけたとき、鴨川があったことを覚えている

夏の京都は、私にとって、特別な記憶がある。

大学3年生のとき心身を崩し、家族と折り合いがつかず、実家にいるのがしんどくなった。
置き手紙と心療内科の処方箋を実家に残し、わずかな着替えを持って、京都でひとり暮らしをしている友人の家に転がり込んだ。

そのときの自分がどんな状態だったのか、断片的にしか記憶にない。京都で過ごしたのか、一週間だったのか、一ヶ月だったのか、はっきりとした期間も覚えていない。時系列も、よくわかっていない。半袖だったから、夏のことだった。

友人は、京都の一乗寺に住んでいた。出町柳で乗り換えて、叡電に乗った。出町柳まで迎えにきてくれて、自転車の後ろに乗って家まで行くこともあった。

当時私はうつ状態にあり、今思い返しても、人生で一番、精神状態も体調も悪かった。順序立てて思考して話すことが難しく、感覚が鋭敏を超えて過敏になっていた。
電車に乗るのがギリギリセーフかアウトだった。閉鎖空間にいることで息が苦しくなる。周りをシャットダウンしてひたすら耐え忍んだ。
コンビニでものを買うことができなかった。コンビニは眩しいし、物がたくさんあって、音もたくさんあり、パニックになる。なにも選べずコンビニを出て、泣いた。

友人がバイトか大学に行くのを横目に、布団の中でずっとラブライブか消滅都市をやっていた。寝転んで携帯を触ることしかできなかったから、ゲームは時間を忘れられる数少ない手段だった。
2つを交互にやると、ゲームのスタミナが回復してくれるのでちょうどよかった。スタミナがなくなれば、Twitterを見るか、天井を眺めることしか、することはなくなった。

調子のいいときは、少し外に出た。恵文社の前をよく通った。恵文社に入ったり、あのあたりには小さな雑貨屋さんがいくつかあって、ふらりと見たりすることもあった。小さく静かな店が多く、人と必要以上にコミュニケーションをとらなくてよかった。
ときどき、鴨川でふらふらと散歩をした。犬の散歩をしているおばちゃんとよくすれ違った。犬はかわいかった。

数年ぶりに出町柳に降りたら、記憶の中と同じケーキ屋があった。
一乗寺のあたりには、なにがあったのかはっきり思い出せなくて、でも見たことのないお店がある気がした。
10年近く経つのだから、多くは変わっているのかもしれなかった。

京都に住んでみたい渇望のようなものがある。
なぜか惹かれるのは、あのときの断片的な記憶が、まだ残っているからかもしれない。あのときの鴨川に、恵文社に、ほんの少し、救われていた。

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