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俺流「愚痴との最適な付き合い方」

このnoteでは私が思う、「愚痴との最適な付き合い方」についてまとめたいと思います。
こちらは特に何か学術的な根拠など一切なく独断と偏見になりますのでご了承ください。

まず、前提として、私は「愚痴」というものが好きではありません。(というか大嫌い、と言いたいレベルで嫌です)
理由は、愚痴が生み出す結果に生産性を見いだせないからです。
こうさらけ出している時点で私の人となり的なものが丸見えになるような気がして恥ずかしい気持ちですがさらけ出します。(じゃないとこのnote書いても楽しくないよ!)
そう、私は愚痴を共有して他人と仲を深めるスキルが乏しい人間です。(自分調べ)
共感性や協調性もおそらくあまり器用に働く方ではないので、そういったスキルや才能が求められる場でよく爆死します。
人間関係から学びを得る気が皆無だった昔の私であれば、爆死してもノーダメージだったのですが、
他人を知りたい!人間関係から学びを得たい!と思い始めている大人になってからの今日このごろは、爆死するたび「!?????????!!!!!!!」という顔を素直にしてしまいます…。(どんな顔…)
ちょっと話が自分語りみたいな方向にとっ散らかり恐縮ですが、話を戻すと、とにかく生産性の無い愚痴が嫌いということです。
(愚痴による恩恵を受けたことが無いので愚痴を好きになれない)
これが前提です。

しかしながら、先日驚くべき体験をしました。
愚痴を言いたくなったのです!!!!!!!!!!!
まず、その背景を説明します。
私は、自分が与えられた仕事に対して、きちんとロジックを固めて戦略を練り、実行し、期待された成果を生みました。
この取り組みについて、私は過程についても結果についても「大いに評価される」ことを期待していましたが、
期待に反して上司から、仕事の結果を褒めることなく、過程の部分について指摘された、という事が起因しています。
結果を出す過程でいくつもの困難な状況が発生した事もあり、私は「こんなに大変な思いをして取り組んだのだから、結果を出したら評価されるのは確実だ」となぜか確信していました。
その謎の爆裂級の期待を抱いていたこともあり、期待を裏切られた(いやまじで今思えば何をそんな熱くなってたんか思い出せないのですが)ときの「ショック」が大きかったことが、「愚痴を言いたくなる心理」に繋がったのだと考えています。
これが、愚痴を言いたくなった背景です。

さあ、私は愚痴を言う気満々です。
パートナーを鳥貴族に招集し、今日は愚痴らせてくれ連絡をし、愚痴をぶちまけるにふさわしい準備を整えました。
さあ、パーティーの開園です。

しかしながら、結局、私はそのパーティーで愚痴を発せずに済みました。(すみましたってなんだ)
パーティー会場に向かう間に、愚痴を言おうとしている自分に気づき、それにショックを受けたからです。
「何をやっているんだ自分は!???!!!!!!!」
と渋谷駅で叫びそうになりましたね。嘘です。
しかし、
愚痴を言いたい気持ちよりも、自分の信条を曲げる事への拒否反応のほうが明らかに大きくなっていたため、
では、どうしたら愚痴が発生したのか?愚痴ではなく、もっと自分を前向きな方向に向かせるにはどうしたらよいか、考えました。

そこで、私流、「自分の愚痴との最適な付き合い方」を発案しましたので、書きたいと思います。(まじで独断と偏見です)

結論、愚痴の元となっている感情、「悲しみ」にフォーカスをするということです。

私が愚痴を言いたくなったのは、「悲しかった」からです。
自分の期待していた評価を、上司がしてくれなかったことが、本当は何より悲しかったのです。
しかしその悲しみに向き合う勇気よりも、その悲しみに追い打ちをかけられぬように、悲しみを怒りで守ろうとしたのではないか、と推測しています。
そして、そのまま怒りで守り続けていたら、やがてだるさ?怠惰?がやってきて、いじける、みたいなことになりかねません。
そんなのはだめです。なぜなら生産性が無いからです!前向きでは無いからです!!私の望むあり方では無いからです!!!!!!!!!!!!!
(堅物神経質度合いがもう隠せんのよ)

なので、私は「愚痴」を言う、のではなく、「悲しみ」をどう癒せるか、にフォーカスすることにしました。
そのために、まず、
自分がこの仕事を通して「出来た」ことを思いつく限り整理しました。
それにより、自分がどれだけ優秀でぶち上げで可愛くて最高にしごできか、を認識することが出来ました。
その上で、受けた指摘ときちんと向き合い、取り入れるべきだと思う点と、そうでないと判断出来る点に整理し、自分の改善点を明確にすることに努めました。

とにかく何を言いたいかと言うと、悲しみにフォーカスするときにやったことは、
・自分が素晴らしい人だということを思い出す
・自分が出した成果を明確にする
・自分が至らなかったところを明確にする
(受けた指摘の中で、自分には不要な部分を明確にする)
ということです。
この工程が終わった頃には、鳥貴族で合流して楽しく翠ジンソーダを飲めるはずです。
愚痴としてではなく、自分がどれだけ頑張ったか、そしてこれからどうしたいかを、焼き鳥囲みながら楽しく話せるでしょう。

私の独断と偏見でした!

先日ブルーノートジャズフェスに行きました。
お目当てはジョージ・クリントンとタンクアンドザバンガスだったのですが、
予想以上にタンクアンドザバンガスがあまりにも可愛いすぎて、
色々を乗り越えた上でのあのピュアっピュアな可愛さやユーモラスな可愛さは、まじで人として魅力的だなと感じましたね…。
人としても勉強になりました。
ライブの後ドンキの綿棒コーナーみたいなとこで写真取ってるのも含めて可愛かったです。
ジョージ・クリントンは相変わらず、可愛かったです。まじで神でした。
明日は東京ゲームショウ生きます!!!!!!!!!!!!

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