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共に生きる、が出来る自分でいたい 【隠居すごろく(西篠奈加 著)

「共に生きる」って何でしょう。
同じ屋根の下で生きていくことでしょうか。
誰かの生活を養って生きていくことでしょうか。
はたまた依存しあって生きていくことでしょうか。

西篠菜加さんの、「隠居すごろく」を読みました。

あらすじを簡単に説明しますと、
商人として由緒ある糸問屋の主人をバリバリと努めてきた徳兵衛は、
悠々自適な隠居生活を始めようとするのですが、孫の千代太が訪ねてくるようになってから生活が変わりだします。
厳しい生活を強いられる子供やその親を拾ってきて「爺様、助けてあげて」と懇願する千代太に、最初は鼻から断っていた徳兵衛でしたが、孫のしつこさや純粋な優しさに触れ、少しずつ考え方が変化していきます。
そこで、ただお金を渡すのではなく、自分の持ち味を活かして生き抜く力、ビジネス力を鍛える場所として、隠居小屋が変化し、次第に人が集まってくる…という物語です。

徳兵衛は問屋の主人として、他人の事情を考えたことはありませんでした。
どんな時も店に仕える人間は主人の言うことを聞いて自分の仕事を全うすればいい。
もしうまくいかないようなら、癇癪を起こして従わせる…みたいな、いわば恐怖政治みたいな経営をしていたのです。
そんな徳兵衛にとっての賽は、孫の千代太であって、徳兵衛が千代太に歩み寄ろうとした時に、双六は勢いをつけて展開し始めるのです。
この時の「歩み寄る」という言葉の意味は、
徳兵衛が千代太にとっての賽を尊重し、その賽を千代太自身の力で転がしていけるように寄り添った、
という意味です。
例えばお金を欲しがる千代太の友達に、ただ単にお金をあげる、とか、
そういうことではなく、千代太自身の力で、どう解決していけるかを、一緒に考えようと努めた、ということです。

ー子供には子供の世間があって、大人とは了見が違います。
ー見て見ぬふりをするくらいの方が、子供には有難いのかもしれません。
口を出して収める方が、よほど楽だし、徳兵衛の性分ならなおさらだ。
けれども大人の押し付けは、子供の言い分を封じてしまう。
大人は優越に浸れるだろうが、子供は伸びはじめた新芽を摘みとられることになる。

「隠居すごろく」(西篠奈加 著)

これが私の思う「共に生きる」ではないかなあ、と思うのです。
「共に生きる」というのは、誰かから賽を奪うことではなくて、誰かと賽を転がしていくこと、
徳兵衛のように、力になりたいと思う対象が自分より年下だった場合、自分の知を活かしてヒントを授けようとする事、ではないかなあと思うのです。
お金や物で解決するのは簡単ですし、何の苦労も生みませんが、
それは「共に生きる」のではなく、「他人との関わり合いをお金で解消した」のだと思うのです。
「共に生きる」の一つの答えとして、本書では下記のように描かれています。

望みどおりに育った果ての始末なのだから、皮肉としか言いようがない。
親の望みを押し付けた結果、本来もっていた情け深さを摘みとってしまった。
千代太と接していただけに、そう考えると胸の潰れる思いがする。
人を呼び、人に繋げてくれたのは、他の誰でもない千代太だ。
優しい節介と、意外なまでのしぶとさが、無聊を慰め、狐に生きてきた身上そのものを大きく変えた。
我が家と我が身を守るだけでなく、他人の暮らしに深く関わり、それが自信の喜びとなり得ることを教えてくれた。
思いやりとは、決して安い同情ではない。
考えも性質も境遇も異なる相手と、共に生きようとする精神に他ならない。

「隠居すごろく」(西篠奈加 著)

考えも性質も境遇も異なる相手と、共に生きようとする精神、「思いやり」。
誰かと一緒に生きていく、ということは、他人を自分の賽を転がすためのエネルギーにすることではないと思います。
お互いの賽が転がるように働きかけていくこと、努力をやめないこと、想い合って生きていくこと、なんだと思います。
お互いが双六の上に立って生きていること、
お互いが別々の賽を持っていることを、いつも忘れないでいたいと、本書に強く思わされました。

私は、ジャンプ漫画で育ってきたくせに、「友情・努力・勝利」とか、「人情・人徳」とか、そういう価値観が苦手です。
だから、そういう価値観を重んじて作られた作品は、あまり好まないのが私でした。
そんな話を父にしたところ、
「でも、時代小説とかって、現実世界とはかけ離れた世界の話だろ?
そういう物語の中での人情とか人徳とかって、俺たちに押し付けてこないじゃん。
せめて物語の中でだけは、そういう価値観が描かれてもいいんじゃないかって思うんだよなあ。
せめて物語の中でだけは、そういう価値観が残っていってほしいよなあ。」
という返答が返ってきました。
いや、ほんとそれだなと思います、お父さん…。
私みたいなひねくれ者はそういうことを胡散臭いとかいって、跳ね除けてしまうけど、心の中でひそやかに持っておいてもいいじゃん、
というか、持っている人間でいたい。
色んな価値観を、自分の中で大切に温めたい。
だって私は共に生きる人の賽を尊重したいから、一緒に大切にしていきたいから、その転がる先を一緒に楽しみたいから。
色んな価値観を温めておける力は、私の賽を予想もしなかった面白い方向に転がす力にも変わるから。
私もきっと、二枚目の双六を開いてみたいから。

二枚目の双六を開いたときには、何もない真っ白な紙っぺらだった。
千代太が賽をふり、道をしめし、祖父の手をひき、ときには懸命に尻を押しながら、ここまで連れてきてくれた。
(中略)
そこには『上がり』がないことに、徳兵衛はようやく気がついた。
本当の意味で、人生には『上がり』がない。
だからこそ面白く、甲斐がある。
やがて死を迎え、終わりは来ようが、辿ってきた道だけは、その先も続く。

「隠居すごろく」(西篠奈加 著)


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