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新卒で入った会社はブラックか否か。


これでもかと自分語りをします。

少々洗脳っぽい話が出てくるので
辛い経験がある方は念のため読まないでください
縁のない方は「自分のがマシだな」と思うために
読んでいただいてもかまいません

わたしは昔から体育会系の負けず嫌いだった。
マラソン大会とシャトルラン命の小学生だった。

負けず嫌いなわたしが社会に出ると、会社を辞めないことが勝ちだと思った。が、3ヶ月経ち気付くと、他部署に5人いた同期が全員辞めていた。入社前に辞めた人もいた。


孤独感と不安が押し寄せていたが、勝った気分でもいた。
社長も先輩たちも残ったわたしのことをこぞって褒めてくれた。会社のせいで同期が困ったのか、同期のせいで会社が困ったのか。ハタチのわたしには分からない。大変な仕事なのははじめから分かっていたはずなのに早々に脱落するなんて。せめて1年やろうよ。そんな気持ちだった。

「上の先輩の代は3人残っているし、たまたまわたしの代が弱かっただけだ。」そう信じることで自分の勝ちをゆるぎないものにしようとしていた。普通より大変な仕事をこなすというのはかっこつけるにはうってつけで、新卒1年目のわたしは「今帰った!疲れた!」と日付が変わってからよく当時のTwitterで呟いていた。今思えば何もかっこよくない。哀れに思われていたに違いないが、四年制大学の友達より2年早くに就職したわたしは仕事って大変だぞ〜とひけらかしたかったのだ。1年目で何をそんなにやることがあったのか。どう考えても「今日も5時ピタ」の呟きのが輝いているし、実際はそんなこと呟かずにいられる人の一人勝ちだ。

本当は地元の県に就職したかったけれど希望叶わず隣の県になったことも大きかった。
並々ならぬ覚悟で実家を出たはず。
就活も大変だった。グループ面接やディスカッションには自分より美人で賢い人が大勢いた。何回も受けた。やっとの思いで入ったのにもし辞めてしまったら夢だった仕事にまた就けるか分からない。


入った会社は運命の導きのようだった。
「本当はあなたが希望する職種では新卒募集していないんだけど、あなたならいけるかもしれない。社長に聞いてみようか?」
たまたまその社長と縁があったというバイト先の上司が繋いでくれた。

わたしは【募集していなかったのに入れた新卒】だった。そこに何か意味を見出そうとしていたのかもしれない。


会社の人たちはとても良くしてくれた。ホスピタリティ溢れる人たちで、実家から出て知り合いがいないわたしのことをみんな心配してくれた。

休みの日にも自然と触れ合えるよう牧場に連れて行ってくれた。実家に住んでいる先輩はお母さん手作りの料理をたくさん会社に持ってきてくれて家庭のご飯を食べさせてくれた。愛溢れる先輩だった。あのエビフライと筍ご飯は忘れない。美味しくて、絶対に裏切れないと思った。大変なスケジュールの日は先輩がコーヒーを全員分テイクアウトしてくれた。

先輩は「今は大変だろうけど、この会社は頑張れば頑張るほど認めてくれるから。グッチのバッグも買えちゃうから。ほら。頑張ろうね」とバッグを見せてくれた。
わたしの給料は手取り15万円だった。励まそうとした先輩だけど、わたしは自分とグッチの距離が数字となって見えた気がして気が遠くなった。

誰かのお誕生日がくると全員でお祝いをした。

労働時間が長くて大変だ、弱音を吐けなくて辛い。少しでもそう思うと必ず嬉しいことがセットでやってきた。たくさん褒めてもらえた。

なんだか特別扱いをされているようだった。実際少しはそうだった。新人が通る下積みの部署を飛ばして花形の部署に入れてもらった。最後の1人に辞められたら困るんだろうなと思ったけど、誰もそんなことはわたしに言わなかった。飛び級だ、エリートだ、選ばれしものだとみんなが冗談混じりにおだててくれた。
嬉しいと同時に少し怖くなった。

励まし合って、労い合って、協力し合って
気持ちがいい会社だった。機嫌が悪い人なんて1人もいなかった。人間として高いレベルが集まっていると感じ、わたしもそうなのかと思うと嬉しかった。


でも。

会社の駐車場はスペースのみで枠がなく、車の通り道を残さずにギューギューに奥から詰めていくスタイルだった。

新人のわたしは1番にとめるとみんなが帰るまで出庫することが出来ない。
気付いて移動してくれる日もあったけれど、他部署含めなかなかたくさんの台数を動かさなければいけないので申し訳なくてストレスだった。ストレスゆえに帰りますと言えずに残っていた日も多かった。帰れてもストレス。帰れなくてもストレスだった。朝車をとめる時点ですでに憂鬱だった。

週に1回違う市にある本社まで高速で出向いて会議に出て、また高速に乗って自分の店舗まで帰るのにガソリン代はおろか高速代も出なかった。

営業が思うようにいかない月には
「よし!今から掃除をしよう!明日のお客さんが気持ちよく来られるように!」
そう言われたがすでに午前2時だった。みんなキラキラとした顔で、声で、楽しい音楽を爆音でかけながら掃除をしているのをみて素敵だとも思ったし、頭がおかしいとも思った。午前2時じゃなければ疑念は抱かないのに。多分その日は帰ってからTwitterに書き殴った。

4人が使うのにパソコンが1台しかなかった。その4人全員の仕事が毎日スムーズにはいかなかった。

さすがに不安になった。
わたしは子どもが欲しいけど、こんな生活をしていていつか子どもが産めるだろうか。栄養も取れていない。自炊する気力なんか湧かない。
このままここにいたらわたしの人生に会社の人たちしかいなくなってしまうんじゃないか。そうだとしたら辞めた後わたしに何が残るんだろう。

断るのが苦手というわたしの性格が裏目裏目に出始めていた。休みを返上して出勤するようになり、お誕生日のお祝いのために深夜まで準備をし、気持ちのいい職場か大変な職場か、どちらも事実だから自分の気持ちが分からなくなっていった。

同期がいなくなって3ヶ月が経ったがまだ半年。3年続けたら変わるかも。ここでやめたら結局負けたことになる。
両親や友達に合わせる顔がない。プライドがズタズタになる。

Twitterに書いていた「今仕事終わった」は
いつしか母に送るようになっていた。
母はいつも起きていたのか起こされたのか明るい返事で励ましてくれた。

社長はそんなわたしを知ってか知らずか
「お前はここで立派になって、そしたら地元に帰って活躍すればいい。その時は喜んで送り出すし、同い年の友達より頭ひとつ出るはずだ」と言った。

社長は県外から来る業界内の著名人にわたしを紹介した。「他県から来てくれていてすごく頑張っている。この子はうちの花です。この子がこんなに綺麗に咲くからあなたたち蝶がこの子を見に来たんだ」原文ママだ。社長はポエマーだった。でもわたしは社長にまっすぐ目を見つめられポエムで労われると涙が頬を伝うのだった。それは感動からだと思っていた。

当時は自分がすごく好かれていると思っていた。自己肯定感の高さゆえにわたしは褒められたり特別扱いされるに値する人間だと受け取ってしまった。

社長のポエムを聞きに同業他社の偉い人たちが会社に何度も来た。わたしに会いにきているわけじゃないのに一員なだけで誇らしかった。

わたしは前に出されて名前を呼ばれた。
「はい!」と言いながらまっすぐ手を上げると社長はわたしの腕がどれだけまっすぐなのか、どれだけ早かったかを自慢した。
そのあと社訓と見せかけたポエムを朗読させられる。他県からわざわざ来た人たちはわたしをみて何故か泣いていた。

社長は頑張ったら報われるとか、漢字の成り立ちからくる人生の大事なこととか、昔は良かったけど今はこうだからみんなで変えていかなければとか、そんなことをすごく上手にポエムにして話すことが出来た。占いに似ていて、顔を見て「あなたすごく頑張っているよね。わたしは目を見るだけでそれが分かる。」そういう具合に大体の人が当てはまりそうな優しい言葉をかけた。かけられた人は目がキラキラして時には泣いていた。わたしも例外ではない。

わたしは常に食欲があって無限に食べられた。ずっと何かを口にしているのに体重は減っていくばかりだった。休みの日にパンの食べ放題に行って20個くらい食べた。20個食べても満腹にはならなかった。家に帰ると何もないのに涙が出るようになった。絶対におかしい。おかしいけれど辞める理由を見つけられなかった。

会社を辞めるのは負けで
続けるのが勝ちという考えは変わらなかった。

多分辞めたい。辞めるとしたら負けを認めなければいけない。あんなにいい人たちなのに頑張れないなんて自分がだめなんだ。覚悟も足りなかった。あんなに良くしてもらっているのにどうしよう。

わたしは次の日会社に行くことが出来なかった。

エビフライと筍ご飯の優しい先輩に電話をし、「母が帰ってこいというのでもう行けません。すみません。」と泣きながら嘘をついた。

1週間くらい休んだと思う。先輩から電話が来て、ランチに連れて行ってくれた。おかしいくらい普段のままのにこやかで優しい先輩だった。「辞めていいから最後に会社へ行ってみんなに挨拶をして。それはこの先あなたのためになるから。」
元気になった今、あれが自分のためになったのかは分からない。全部が全部、1つの出来事が半分はすごく良くて、半分は辛い経験。
あれだけ密な時間を過ごしたのに辞めるわたしには誰からも連絡が来なかった。

いまだに思ってしまう。あんなにいい人たちだった。活躍できる環境も揃ってた。自分には合っていたような気がする。それでも頑張れなかったのは自分の力不足だ。2年でもいいから続けていたら今でもまだあの人たちと繋がっていられたんじゃないのか。

これは洗脳だったのか。

負けず嫌いのわたしが負けを選ぶなんて信じられなかった。

負けた後のわたしは果たして本当に負け組の人生を歩んだのだろうか。

2ヶ月くらい無気力のまま実家にいた。
わたしにも【はいよろこんで】を作詞できる能力があったらよかったけれど、無気力のままだった。
本当に辞めて良かったのかと何回かは思った。
周りに実は辞めたんだよねと言う時は少し恥ずかしかった。でも周りは「本当に良かった」と言ってくれた。

その後わたしはすぐに同じ職につくことが出来た。地元の県で、実家から通えた。
キラキラした前向きな人は少なく、どちらかと言うと「仕事だりー」系の人たちだったけれど、いざ仕事になるとみんな頑張っているように見えた。それが心地よかった。安心できた。誰もわたしを特別扱いしなかった。時にみんなと「だりー」と言いながら必死に働いた。
友達と会えるようになった。次も同じ職だったので労働時間は長かったけれど、社長はポエマーじゃなかった。夢を叶えることが出来た。お給料も多くはないけれど生活には困らないし遊べるくらいは貰えた。
やりだいだけその仕事をやって、したかった結婚もした。一度辞めることが出来たおかげで気軽にまた同じ業界へ転職もして、子どもを産んだ。
夢だった仕事は今も好きなままでいられている。


辞めることは負けることなんかじゃなかった。
勝ち負けとか正解なんてなくて、ただどちらを選ぶかというだけの話だった。

辞める理由がないと思っていたけれど、ぎゅーぎゅー詰めの駐車場だけでも辞める理由にしてよかったんだと思った。

あそこにいた人たちはどうしてるだろうかとたまに思う。すごくキラキラしていたけど、本当はどうだったのか。きっとわたしにとって辛かったことが辛くなかった人も中にはいるだろうと思うし、同じく辛かった人もいるだろう。


納得いくところまでやり切れなかったという気持ちはやっぱりあるけれど、わたしは逃げることや辞めることが悪いことじゃないと人に言えるようになった。

少しの「辞めて良かったのか?」という気持ちと
大きな「辞めて良かった。」の気持ちがある。

その両方を抱えてこれからも生きていくと思う。

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