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自己肯定感が高いのに時折メンタルが落ちてしまうことの分析(前半)


わたしは自称自己肯定感が高い女。自己肯定感なんて自称でしかなく、それが全て。
それでもここ数年は時折メンタルや考え方の調子が悪くなることがある。
そのたびに「自己肯定感が高いのに?」と自問する。

まずは①本当に自己肯定感が高いのかを自分と向き合いながら確認していきたい。(前半)
そのあとに②メンタルが落ちるのは何故かを考える。(後半)
②は育児にまつわる自己分析です。

自己肯定感が高い人って何を考えているんだろう?と思ったことがある人に読んでいただきたいですが、そんなの読みたくない人は本当に読まない方がいいと思います。お手柔らかに。


はじめて自己肯定感という言葉を見聞きした時には【これまで何度も自覚してきたけれどほんわかしていたもの】が急にはっきりと現れて、なんでわたしってこうなんだろう?と考えていたことの全てが【自己肯定感が高いから】だと自分に説明出来たのがとても嬉しかったのを覚えている。嬉しいというより正確にはスッキリに近い感覚があった。

前提としての
わたしが考える自分の自己肯定感の高さとは、


・美人な友達や性格のいい人、お金持ちや賢い人と自分が並んだ時にそもそも比べない。けれどもたとえ比べたとしても別に負けていない。(びっくり)
わたしは美人でもなく、たまに性格が悪いしお金もないけれど、何故かわたしはわたしでいい感じだと思うことが出来る。一つのことで判断せずに【人の魅力】をとても大きく見ることが出来るから(どこから見たって悪いやつは除く)、自分のことを考える時にも、「人によってはわたしのがいいと言う人も出てくるのではないか」と考えながら生きることが出来る、そのため格上の人と並ぶことも怖くない。そもそも比べていないという土台が必要だけど。
なぜ?と聞かれてもそれらは説明が出来ない。だって一般的には全部自分のが下だろうから。でもわたし自身はそんなことあまり気にしていない。そう、この【気にしていない】が全てな気がする。
上とか下とか気にしていない自分には最大の魅力があるんじゃないだろうか。

・例え夫と離婚することがあっても自分が再婚したいと思えば必ず出来るだろうと思う。故に結婚生活でネガティブになることや卑下することがない。この人以外にいない!とは思わないためこの人とは好きで一緒にいるんだと自覚することが出来る。選択肢がたくさんあると信じていると、「それでもわたしはこの道を選んでいるんだ」と幸福度を高めることが出来る。

・自分の魅力に外見や財力がないと分かっているから、他人を見る時も外見や財力は気にしないし、それだけで悪口を言ったりすることがない。そんな自分のことがさらに好きになる。羨ましいという気持ちに囚われることがない。

と全体的には【モテ】とか【好かれること】をベースに自己肯定感が高いように思う。それって他人軸なのでしょうか。
こんなnote書いてる時点でやっぱり自称自己肯定感が高い女であることは間違い無いけれど、そこに「他人から見てもわたしは自己肯定感が高そうか?」は入っていない。正解不正解はなくて、わたしがそう思っていることだけが自己肯定感についての答えだ。
そもそも自分以外が自己肯定感の高さを確認する術はないのだけど。
一見すると他人軸に思える「自分が人から好かれそうだと思う」は【結果を気にしない】場合においては自分軸であると思う。自分が思っているだけだからそれは揺るがない。人から本当に好かれているかなんて分からないのだから。

自信と自己肯定感の違いを説明する。
よく見かける「痩せたら自己肯定感爆上がり」は違うと思う。痩せたらつくのは自信で、太るとなくなるのも自信。「太っていても大丈夫」なのが自己肯定感だと思う。整形云々や稼げるようになることもすべて自信をつけるためだ。自分の変化に左右されないのが自己肯定感。だからそんな言葉を見かけた時は心の中で「自信」に置き換えて読んでいる。ストイックな人ほど理解出来ないかもしれないけれど「自信はないけど大丈夫。」という感情が存在するのだ。

こんなことを書くとおそらく結果論だとか、結局自分が好かれる理由を挙げられるからだと勘違いする人がいるかもしれないが、
【自分で人に好かれると思っていること】だけで充分で、何度も書くけれど実際に好かれているかどうかは別。

仮に全人類から嫌われていたとしても
【わたしは自分のことを人から好かれると思っている=自分は俯瞰で見て自分のことが好き】だから大丈夫というわけです。実際に好かれているかどうかは問題ではない。そこはなくていいんです。考える価値がない。自分がそう思えていることがゴール。(しつこいな)

たとえ離婚したとしても〜のくだりだって、実際に再婚出来るかどうかは論点ではなくて、わたしはもしその時が来たら死ぬまで「もし再婚したかったら必ず出来るはずだ」と考えながらそう振る舞って生きていく。というのがメインなんです。結果は後回しどころか考えなくていい。これもまた【気にしない】のです。ちなみに離婚する予定は全くありませんがそれについては固定noteをご覧ください。

わたしが昔から自己肯定感が高かったことの例としては、「学級代表になりたい」と思ったらその瞬間手を上げることが出来る。オール3の成績でも(国語は4で数学は2、他はオール3。そんな感じ)、宿題を出していなくても、部活で補欠でも、可愛くなくても、一重で眉毛が濃くても、わたしはやりたいことに挑戦した。思春期真っ盛りで周りの様子を伺う癖のあるクラスメイトはわたしの勢いに圧倒されて何故だかわたしが学級代表に相応しいんじゃないかと錯覚した。周りの様子を伺わずに手を挙げるだけ、それは確かに大きな影響があった。

わたしは自分より賢い子や美人な子が「わたしなんて、、」とモジモジしていると、わたしよりすごいのに何故この子達はわたしのように挙手したくても出来ないんだろう?挙手するだけなのに。と思っていた。段々と周りはわたしを顔や成績の偏差値ではなく明るいことや積極的なことを評価してくれた。

成績が悪いのに何故か生徒会の推薦者になってくれと言われたり、ブスで眉毛が濃いのに他のクラスの男子がわたしのメールアドレスを聞いてきた。これは自慢です。

学生には勉強することや部活動に一生懸命取り組むことが必要だからあまり口には出されずとも、
学力や勤勉さと同じくらい「明るいこと」や「分け隔てなく接すること」「ピリピリしていないこと」「臆せずにみんなに声をかけること」それらが学級代表に値していたのだと思う。
わたしはそんなことを考えずに挙手をしたけれど、選んでくれた人はそう考えていたんじゃないだろうか。

そうして勢いだけで三年間学級代表をやっていたものだから、関わりのなかった先生がわたしの成績をみて驚いた。こんなに低かったの?と。わたしは褒められたと思った。振る舞いが良すぎて成績がいいと思われていたんだ。うける。

これらの経験は自己肯定感とは別で【自信をつける】ことに繋がっていった。
挙手のはじまりは自己肯定感の高さから、その後の周りの反応により自信が後から付いてきたということになる。

それで、肝心の何故わたしは自己肯定感が高いのか。それはズバリ「わたしの中身って最高だ!」ってところから自己肯定感の高さはきているんじゃないかと思う。ここで大事なのは中身(性格)が良いわけではなく、聖人とは程遠いけれどネチネチしていてちょっとブラックが入っているところを含めて最高!と思えるということです。要は好みですね。
自分が好きだと思う性格がたまたま自分の性格だったみたいな気持ちです。(なんの話読まされてるの皆さん本当に)
外見が好き!だといつかは変わってしまう。老いによるものかもしれないし、別のきっかけかも。わたしは妊娠で16キロ太ってしまったし、そういうことが人生にはあるから。
でも中身って大体変わらない。中身が好きなのはとても重要だと思う。

実生活でこんなこと誰にも言わないところも好き。ここだけの話ですこのnoteは。
実名ではとても書けない。書きたいとすら思わないことなんです。顔を出してわたしは自己肯定感が高くて!って言っている自分は好きじゃないから。(匿名であることの効果ってすごいです)

【至って普通に自信があるところとないところがあります】って顔で生きながら、本当はそんなこと心底気にしていないのです。

わたしは一重で生まれてまぶたが腫れぼったいし、夫が笑ってしまうほど短足だし、実家は汚部屋で両親はギャンブル依存症ゆえの決してお金持ちではないし汚部屋レベルはきっと想像のはるか上。眉毛も吊り上がっているのをなんとか平行眉にしようとしているから放っておくと汚い眉をしているし、下半身デブで上下の服を買うと上がSで下がLというなんともバランスの悪い下半身を持っている。それなのに大丈夫だと思えるんです。ちなみに貧乳です。

事実だけ並べるとモテとは程遠い。
おそらくこれを読んで「ブスなのにすごい自信で草」とか「実家汚部屋は無理ゲー」「子どもが可哀想」「もう少し謙虚のがモテるぞ」と思う人こそ(なんでみんなちょっとオタクっぽいんだ。謝ります)自己肯定感が低いのだと思う。事実がひどいレベルだと本人が幸せなわけがないと思ってしまう人。人の価値は眉毛や実家では決まらないと考えている人こそ自己肯定感が高いのだと思います。

実際はきっともっとマシなんだよと思うのならわたしの卒アルを見てほしい(捨てたけど)。
当時の実家を見て欲しい。
そんなことは自己肯定感には関係ないんです。心から。

わたしは特別可愛くも賢くも無いからこそ「自己肯定感が高い」と自覚することが出来たんです。
アイドル並みに可愛かったら全ては顔のおかげだと勘違いをするところです。

見た目・事実・環境を超越した先に自己肯定感ってあるんですよ。もはや生まれつきじゃないですかね。(元も子もない)

もしも自己肯定感が高くなりたいという人がこれを読んでくださっているのなら、
「変わらなくても大丈夫」を目指すことです。大丈夫とは全く思えないのなら、変わりたいと思うところだけ変える努力をして、たくさん考えて、変わらなくても大丈夫になるまで思考を続けるのがいいと思います。
例えばわたしは親の言うことを聞かずに泣かせたとしても自分の意思を貫くことに誇りを感じますが、そう思えないのなら「親の気持ちを尊重できる優しい自分」に集中することです。
矛盾する両方は叶えられないから、納得できるまで自分がどちらの自分が好きか思考することです。

自己肯定感が高いわたしのこれまでの生き方は、
勉強出来なくても人生は大丈夫
(テストや受験は大丈夫じゃないけど大丈夫)
赤点とっても大丈夫
可愛くないけど大丈夫
実家終わってるけど大丈夫
仕事でめちゃくちゃクレームもらうけど大丈夫
上司パワハラセクハラだけど大丈夫
3年以上仕事続けたことないけど大丈夫
彼氏は浮気しそうなタイプだけど大丈夫

と、マイナスな場面でも気にしない強さを持って生きてきました。(いい風に言えばいいと思うなよ)

大ピンチの場面ではどうかというと
上司に怒鳴られている時は悔しくて涙がポロポロ出るけれど
会社を出た途端ケロッとして彼氏にもその出来事を話すことなく40分後には幸せそうにご飯を食べていました。それが毎日のように続きます。回復までの早さが自己肯定感が高いことの強みです。
おかげで彼氏(今の夫)はわたしがめちゃくちゃ仕事が出来るタイプだと思っていました。仕事の愚痴を言わないから。今更実はめちゃくちゃ怒られたしお客さんの家へ謝りに行ったこともあるし仕事は出来なかったといっても「またまた〜」と信じてもらえないほどです。
成績がいいと勘違いしていた先生と同じ現象です。もしかしたらわたしの振る舞いによって色々なことを夫は勘違いしたまま結婚してしまったのかもしれません。


それで、わたしは自己肯定感が高いから毎日自己を肯定してハッピーなのかというと育児が始まったここ最近は少し違っていて。
後半へ続きます。

(ここまで読んでくださってありがとうございます!)

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