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雑記

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日常で感じたことなど、テーマを絞らず書いています。
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#日記

好きなものは似るという話

ブログを書くのに必要なイメージ画像を検索していたときに気付いたことだが、一つの検索ワードに対して画像だけを見て選んでいるのに、撮影者をみると同じ方が案外多い。素敵だと思う感覚には、どうやら自分の中で型がありそうだ。 自分の好みは日常の中で作られる。だからなるべく、嫌いなものや違和感のあるものは日常に入れたくない。それはわがままじゃない?汚れた水も飲むのが大人だと言われたとしても、じゃああなたが汚れた水を飲めばいいと思う。私の日常は、あなたのものではない。私が必要を感じて飲む

書くことがない時の日記

書くことが思いつかないまま今日になってしまった。更新しなくても誰も困ることはないけれど、毎週1回は更新しようと自分と約束したので、それを破るとなし崩し的にやらなくなってしまいそうな気がする。 いっそ短歌でも書いてみようと思ったのだが、小学生の頃の宿題の日記でもネタがなければそうしていたのを思い出し、発想が変わらない自分に何とも言えない気持ちになった。なぜ短歌で穴埋めをしようとしているのか自分でも分からない。日常的に触れる機会はない。日曜日に友蔵心の俳句を聞くくらいだ。なのに

普通の凄さ

仕事が自分の意志とは関係なくプツンぷつんと途切れることが多い人生で。どこの職場でも重宝されるし、割とかわいがられる。でも、会社は潰れるし、個人事業主の仕事でさえ、繋がりで仕事をしていれば、それがなくなれば仕事がなくなる。だから私は、私の頑張りさえあれば奪われることがない、占いの仕事に辿り着いたんだと思う。 苦労話が書きたいのではない。苦労とも思っていない。でも、それは私が強いからではなく、周りがちゃんとしているからだ。実家に住んでいた時は両親が、今は夫が、ちゃんとしている恩

夢の不思議

幼いころからずっと夢見が悪い。小さな私はいつも、素敵な夢が見たくて、私はプリンセス!と念じながら眠りについた。だけど、そんな願いもむなしく、ほとんどが悪夢で、夜中に飛び起きてはしばらく怖くて寝られない子供だった。 大人になっても相変わらず悪夢を見る。就寝環境が悪いとか、ストレスがどうとか、原因があるらしいことはネットで知って、色々試してはみたけれど、一向に改善されないのでもう諦めている。私はプリンセス!という呪文も、さすがにもう効くはずがない。 そんな夢見の悪い私だが、悪

床の髪の毛

しごくどうでもいい話なのだが、髪の毛が床に落ちているのが気になる。 クイックルワイパーでクイックルしたのに、隣の部屋から返ってきたらまたそこにいる。 なぜだ。 奴らは壁とも親和性が高い。もとはと言えば私が持ち主であったはずであり、その私が集まれー!ってクイックルで呼びかけているのに、それよりも強い絆が壁と髪の毛にはある。壁が髪の毛を掴んで離さない。その絆をぶちっと切るのは当然私なのだが、先にクイックルに捕獲された仲間の髪の毛達が壁側に逃げてさらに強固な絆を生む場合がある。

書いてはお蔵入りにするの繰り返し

結構な割合で記事をお蔵入りにしている。自分のWEBサイトとは違い、noteではテーマは決めておらず、基本的に何を書いても良いことにはしている。けれど、コンスタントに書き続けていれば、書くことや読まれることに慣れてしまい、漏らし過ぎてしまうと感じることがある。筆が嫌な感じでノッテいる時は大抵そうだ。 私は、愚痴は愚痴を集めて増やすと思っている。言うは知性、言わぬは品性だとも思っている。だから、言う必要がある時は言うけれど、黙っていることの方が多い。でも、ルールのない雑記を書い

写真は関係性を写す

今でこそ写真を撮るのが好きと言えるが、元来、撮られるのも撮るのも苦手で、笑ってと言われても、なんで面白くないのに笑わんとあかんのや、と思っていた。それが如実に出たのが成人式の写真で、せっかく綺麗な着物を着せてもらったのに、何故こんなにムスッとしてるんだ・・・という仕上がりになっている。笑っている時間もあったはずだ。タイムマシンがあったら、こそっと撮るので差し替えたい。 仕事で写真を撮らなければならなくなったことがある。お店で働いていた私は、いきなり業務としてネットショップの

噛み心地の良い紙

いったいなんのこっちゃと思われるだろうけど、鳥と生活をしたことがある人はもしかすると分かるかもしれない。 私が昔一緒に暮らしていたインコは、紙切りがとても好きな子だった。けれど、どんな紙でも良いわけではない。 パリッと張りがある紙、たとえば、図鑑や写真集の表紙はとても良い。噛むときにプチプチと音がして、楽しくて気分が乗って、リズミカルに噛む作業を進めていくことができる。 新聞紙はダメ。薄い、噛み応えがない。つまり、面白くない。 チラシはそれぞれ。A5で青色一色の不動産

アイシャドウパレットを落としたら、ちょっぴり涙が出てきた

何年かに一度、持っている化粧品を一新したい衝動に駆られる時がある。私の場合、そうした時はいつだって今の自分に飽きていて、どこかで新しい自分を探している。 鏡の中の自分の姿が良いようには思えなくなって数ヶ月が経っていた。コロナの流行以来、人と会うことはずいぶん減ったし、販売員をしていた頃のように、誰かに見られているという意識も徐々に減り、これは惚気だけど、夫にはそのままで十分かわいいよと言ってもらえ、完全に気を抜いた結果だった。 鏡に映る自分がだらしなく見える。これは、ダメ

夏の終わり

空に夏と秋の雲が混ざっている。日が暮れるのも少し早くなった。夜に散歩すれば夏の終わりの匂いがする。 近所で盆踊りがあると知り、大人になってから初めて見に行った。出店で買ったフランクフルトを頬張りながら眺めていたら、子供のころに祖母が踊っていた光景をぼんやり思い出して懐かしくなった。 YouTubeで全国各地の花火をみて、特に長岡花火には感動しっぱなし。 ガラスペンで暑中見舞いを書いたら、出したハガキとほとんど同じような絵柄の暑中見舞いが同じようなタイミングで友から届いて

ガラスペンを買った話。

この記事にもあるように、最近ガラスペンに憧れていて、ついにGETした。 アクアブルーの透き通るペンに、ラメ入りのインクが4本と、ペン置き、ペンを洗う用のコップがついた初心者には親切でお得なセットのものだ。 ついでに練習帳も買った。 心が整いそうだと般若心経の本にも惹かれたけれど、書きながら名言を楽しむタイプの本にした。 早速、真っ白なスケッチブックにウキウキで書いてみた。 そして気付いた。ガラスペンで書いたからと言っておしゃれな字が書けるわけではないということに。 目

安倍文殊院で7周して7つの厄を除ける

「○○しないように」と願いながら回廊を7周すれば、7つの厄を除けることができる。こんな面白そうなことが書かれていたら、それはもうやるしかないのです。 そこは友達と遊びに来た奈良でたまたま立ち寄ることになった安倍文珠院。 願い事と言えば、新月の日に「すでに叶った形式で肯定的に」書くと良いと聞いていたので、「○○しないように」という文言は、巷でよく聞くアファメーションとは逆だなと。 すでに叶った形式とはどういうものかと言えば、「○○受験に合格しました」とか「昇進しました」と

私の辞書に、なかった言葉

あの日、「知らないだけなんだろうなと思うから」と言われたことが、私の視界を広げた。 幼いころから知らないことへの恐怖が強く、全てを知っていなければならないと頑なに思っていた。 例えば昨日のドラマについて、例えば流行りのアイドルについて、例えば倣った授業について、私はいつも完璧でなければならないと自分にプレッシャーをかけていた。 本棚に「自由自在」という学習参考書が並んでいて、自由自在という文字を見るだけで静かにツーっと涙が流れてくるような子供だった。「何が自由だ」と。